高野山・大門から壇上伽藍・金剛峯寺、親子の悲しい物語「苅萱堂」へ。

高野山・奥の院から大門へ(大門行きバス)

高野山・奥之院入り口に戻ってくると、ラッキーにも大門行の路線バスがきました。はじめは大門まで行くのは諦めていたのですが、行くことにしました。

路線バスでは次のことご注意ください。
大門行は少なく、高野山駅行が多くあります。高野山駅行は金剛峯寺の前の停留所(天寿院橋-東)で右に曲がり、大門までは行きません。

高野山・大門

バスの停留所「大門」は少し手前で、右を見上げると大門が見えます。

大門は高野山の一番西にある総門。
高さ約26m、国内最大級の木造二重門。左右には、金剛力士像が安置されています。
ちなみに、前の記事で書いた奥の院は一番東側にあります。

大門の金剛力士像

高野山・大門から壇上伽藍へ

大門から道沿いに500mほど約7分で壇上伽藍(だんじょうがらん)の中門に着きます。高さ約16m、横約25m。檜皮葺(ひわだぶき)です。

この後に出てくる、金堂から東塔まで総称して壇上伽藍といいます。
壇上伽藍とは、大日如来が鎮座する壇、または修行する道場を意味します。

中門に安置されている四天王像
北方を守護する多聞天(左上)、東方を守護する持国天(右上)、南方を守護する増長天(左下)、西方を守護する広目天(右下)です。

金堂(こんどう)

ご本尊は薬師如来像(高村光雲作)、拝観料200円。

金堂の左には、六角経蔵(ろっかくきょうぞう)があります。この六角経堂には取手が付いていて、それを押して回ることができます。一回りすれば、『一切経』を一読したのと同じ功徳を得られるといいます。
しかし、一人ではかなり重く、数人で回したほうが楽です。

壇上伽藍・三王院

六角経堂の向こうに山王院が見えます。

なぜ、空海は高野山を聖地に決めたのか?

壇上伽藍・三鈷の松

金堂の左奥を見ると三鈷の松があります。

空海が高野山を開山した理由
大同元年(806年)、弘法大師が唐から帰国される際、日本で密教を広めるのにふさわしい聖地を求めて、明州の港から密教法具である「三鈷杵(さんこしょ)」を投げました。帰国後、その三鈷杵を探し求めると、この松の木にかかっていたといいます。こうして、高野山は真言密教の道場として開かれることとなりました。

案内板によると、ふつう松の葉は2葉か5葉ですが、「三鈷の松」は密教法具の三鈷杵のように3葉になっているのが特徴です、とあります。
しかし、「3葉になっている」のは疑問です。3葉はお金に恵まれるといわれ、人々が探しますが、なかなか見つかりません。

三鈷の松の左奥に鐘楼、その右の奥に西塔があります。写真には屋根の一部しか写っていませんが。

奥が孔雀堂で、手前が准胝堂(じゅんていどう)です。

准胝堂の右には、大きな御影堂(みえどう)があります。御影堂のすぐ前に、先ほどの三鈷の松があります。

壇上伽藍のシンボルともいうべき根本大塔

根本大塔(こんぽんだいとう)は、金堂の後ろにそびえています。
高さ48.5m、一辺23.5m×四方。

根本大塔内の立体曼荼羅は必見!
中には、中央に胎蔵大日如来、その周り東西南北に金剛界四仏(阿しゅく・弥陀・宝生・不空)、その周囲16本の柱には16菩薩の絵が配されています。曼荼羅を立体で表現しています。(拝観料200円)

根本大塔の左方向(東)前にある不動堂
1197年(建久8年)鳥羽天皇の皇女院の御願により行勝上人が建てたと言われています。国宝。ここの御朱印もいただけます。

西行桜

不動堂よりさらに東の方へ歩くと、西行桜(写真・上)、三眛堂、東塔になります。この東塔で壇上伽藍は終わりです。

壇上伽藍・三眛堂

三眛堂

東塔

東塔から紅葉の回廊ともいうべき蛇腹路を歩き、金剛峯寺(こんごうぶじ)へ参ります。

金堂と不動堂の御朱印

金堂と不動堂の御朱印

外国の観光客も多い金剛峯寺

金剛峯寺の名は、お経『金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経(こんごう ぶろうかく いっさい ゆがゆぎきょう)』にちなんで名付けられました。

高野山を参詣したことのない人にとって、ふつう高野山といえば、また空海といえば金剛峯寺だと思います。奥の院とか壇上伽藍とかの名前は教科書に出てこなかったのではないでしょうか。
それというのも、高野山の総称として金剛峯寺と言われていたようです。だから、金剛峯寺に着いた時はなんだか感慨深かったです。

金剛峯寺の境内は、東西60m、南北約70m。主殿(本坊)をはじめとした様々な建物を備えた境内総坪数は、なんと48,295坪の広さです。

金剛峯寺の表門

金剛峯寺の主殿(本坊)。拝観料500円、時間がなく中には入りませんでいた。


主殿に連なった右の方の建物で御朱印はいただけます。

高野山・金剛峯寺の御朱印

金剛峯寺の御朱印

苅萱堂 – 父と子の悲しい物語

苅萱堂(かるかやどう)

大門、壇上伽藍(金堂と根本大塔など)、金剛峯寺を参詣し、残り時間はあと60分。金剛峯寺からは時間に間に合うバスがなく、集合場所のレストラン楊柳までは歩くことにしました。道中には中には入りませんでしたが、多くのの寺院があります。

その中で、どういうわけかこの苅萱堂(かるかやどう)には入ってみたくなりました。

苅萱堂心と石童丸の悲しい絵巻

苅萱堂については何も知らなかったのですが、入って大正解でした。ここには、3面の壁に『苅萱堂心と石童丸の悲しい物語』の絵が数十枚飾られ、説明されています。時間がないので、1枚1枚じっくり見ることができなかったのが心残りです。

苅萱堂心と石童丸の悲しい物語

筑紫の国(福岡県)に、加藤繁氏という若い領主がいました。この正室が側室を殺そうとします。計画は発覚して側室は難を逃れ、加藤家から出ることになりました。
しかし、領主の繁氏は人間の恐ろしさから出家し、高野山で修行します。そして、苅萱堂心(かるかやどうしん)と呼ばれるようになりました。

一方、側室は加藤家から出る時には身ごもっていて、この子が石童丸です。石童丸は大きくなって、父が高野山にいると聞き、母を伴って高野山へ向かいます。

高野山は、当時は女人禁制の地。石童丸は母を麓に残し、一人高野山に登り、父である苅萱堂心に父の消息を尋ねます。父は真実を言うことができず、「その者は死んだ」と石童丸に告げます。

泣く泣く麓に戻ると石童丸にはさらなる悲劇が待っていました。石童丸の母が、すでに死んでいたのです。石童丸は高野山に戻り出家し、父である苅萱堂心の弟子になります。この父子が修行した場所が、この苅萱堂だったのです。

苅萱堂の御朱印

御朱印は、苅萱堂の隣奥にある密厳院でいただけます。

刈萱堂の御朱印

熊野本宮大社に参拝、高野山・奥の院と壇上伽藍、金剛峯寺を参詣し、東京に帰ります。時刻は17:00です。新宿には、朝5時頃に着く予定です。

途中、奈良健康ランドに3時間の休憩をとります。

ジンジンキタキターーー!奈良健康ランド

今日歩いた距離は、熊野本宮大社で1kmほど、高野山で5kmほど歩いたのではないでしょうか?
普段はデスクワークで1日中家にいることの多い私には、かなりの足への負担です。けっこうふくらはぎがパンパンで、つま先からくるぶしは運動靴に締め付けられていました。

だから、奈良健康ランドの42℃の熱めの温泉につかった時、あるCMではありませんが、

ジンジン、キタキターーーーーー!

足も心も、ホッとした喜びを得ました。

奈良健康ランドには7時15分に着き、10時15分出発です。3時間もありますので、5つ以上ある温泉に約1時間近くつかりました。普段のお風呂は10分くらいですから、かなりの長風呂を堪能しました。

また、サウナ室に入ると、なんとラグビーのイングランド vs 南アフリカの決勝戦が中継されていました。ノーサイドまで12分でした。これまた、ラッキーでした。

終わりに

熊野三山は、熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社。このバスツアーでは、熊野本宮大社のみ参拝します。

四季の旅社バスツアーでは、熊野三山を参拝するのは難しいとのことです。私としては、那智の大瀧(飛瀧神社-ひろうじんじゃ)を死ぬまでには見たいと思っていますが。

11月28日の最新の情報では、熊野三山をめぐるツアーも企画中だと聞きました。できたら、真っ先に参加したいと思っています。

コメント

タイトルとURLをコピーしました