約50年前に行った清水寺!

2020年11月22日、約50年前に中学・高校の修学旅行で行った京都を見てきました。「四季の旅」利用

いつでも行けるという思いが、知らず知らず行きそびれていました。時間とお金があったら、外国へという方が多いのではないでしょうか。私もそうです。

そして、清水寺の想い出といったら、下の写真でしょうか。

記憶の清水寺は舞台のほかにどんな建物があるか、すっかり忘れていました。今回行ってみて、あまりに頭に描いていた清水寺とは違い、境内の広さにも驚きました。

ところで、清水寺の舞台って何をするところなの?

本尊の観世音菩薩に芸能を奉納する場所です。 古くから、そして今でも雅楽、能・狂言、歌舞伎、相撲などの芸能が舞台で奉納されています。

清水寺の歴史

山号は音羽山。もとは法相宗に属したが、現在は独立して北法相宗大本山を名乗る。
【本尊】十一面千手観世音菩薩

『続群書類従』によると、奈良で修行を積んだ僧、賢心(けんしん)の夢に白衣の老翁があらわれ「北へ清泉を求めて行け」とお告げをしたことが清水寺の始まりです。

賢心は京都の音羽山で清らかな水が湧出する瀧(音羽の瀧)を見つけます。そして、この瀧のほとりで草庵をむすび修行をする老仙人、行叡居士(ぎょうえいこじ)と出会ったのです。

行叡居士は賢心に観音力を込めたという霊木を授け「あなたが来るのを待ち続けていた。どうかこの霊木で千手観音像を彫刻し、この観音霊地を守ってくれ」と言い残して姿を消した。

2年後、鹿狩りに音羽山を訪れた武人、坂上田村麻呂が音羽の瀧で賢心と出会います。賢心は坂上田村麻呂に観音霊地での殺生を戒め、観世音菩薩の功徳を説きました。

その教えに深く感銘を受けた坂上田村麻呂は後日、十一面千手観世音菩薩を御本尊として寺院を建立し、音羽の瀧の清らかさにちなんで清水寺と名付けたのです。

音羽山 清水寺〉より

今回の京都ツアーは、すべて自由時間です。だから、すべて自分で計画していかなければなりません。だから、移動はバスかタクシーを使います。

京都駅からは市バスで約20分ほどで、清水寺に最も近いバス停「五条坂」へ。

ここから清水寺まで、緩やかな登り道「うさぎ坂」を15分ほど歩いて行きます。うさぎ坂は普通の通りで、記憶にあった情緒がある通りは、五条坂からは少し北にある「産寧坂」や「ねねの道」のようです。

下の境内図を見てください。赤線・至バス停「五条坂」からが私が歩いたルートです。
なお、「轟門」から先は入場券500円が必要です。
御朱印は「納経所」で。この日の御朱印希望者は多く、やや右にある「釈迦堂」の後ろまで並んでいました。

清水寺Map

仁王門

西門(さいもん)と後ろに三重塔

曇っていて色鮮やかではありませんが、趣のある清水寺のイメージとは違い、真っ赤な朱色が派手すぎます。

西門の前の祥雲青龍。かっこいい!

轟門・回廊に鎮座している出世大国天像

清水寺・本堂

御朱印をいただく方は、左にある納経所の前を見てください。どれだけ人が並んでいいるか、確認した方が良いです。今日は30分ほど待ちました。それから、阿弥陀堂へいき「清水寺の舞台」を見ました。


阿弥陀堂

清水寺の舞台がすぐ目の前に。また、阿弥陀堂は展望台のようで、京都タワーまでよく見えます。晴天の日なら、もっとくっきり京都市内が見えたことでしょう。



阿弥陀堂を戻り、下に行く階段を降りていくと、舞台の壮観さがよくわかりますね。工事中でなければ、これぞ清水寺の舞台という写真になったのですが、う〜ん残念!


紅葉の三重塔を右に見ながら、うさぎ坂を下りてバス停へ。次は銀閣寺に向かいます。御朱印をもらうのに30分もかかってしまい、少し急がなければ銀閣寺の後の金閣寺には行けないかもしれません(汗)。

清水寺の御朱印

清水寺の御朱印

清水寺・バス停「五条坂」を2時30分頃出発。バス停「銀閣寺前」には3時10分頃つきました。

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