大洗磯前神社 2019年1月19日参拝
神磯とは「大御降臨の地」という意味
「我は大奈母知、少比古奈命なり。昔此の国を造り訖へて、去りて東海に往きけり。今民を済わんが為、亦帰り来たれり」
二柱の神がやってきた海の道に、鳥居が建てられています。満潮の時はこの鳥居だけが水面に出ています。
早朝の時間が合えば、鳥居の中に日の出が見える「神磯(かみいそ)」写真が撮れます。また、夕暮れ時の満潮の鳥居などは、ブルートーンで撮ってみると幻想的な写真になりそうです。さらに、満月と銀色に光った海面の写真も神磯の鳥居として、名前にふさわしい写真になるでしょう。
今回は太陽が高く上がっていますが、海の道を示す神磯の鳥居が撮れました。神磯とは「大御降臨の地」という意味です。二柱の神・大奈母知と少比古奈命が、このような光った海の道を大御降臨されたのではないでしょうか。
大洗磯前神社のご祭神とご神徳
【ご祭神】
大己貴命(オオナムチノミコト)
日本書紀が設定した原初の国つ神で大国主神(オオクニヌシノカミ)の別名の1つともいわれています。通称、大黒さま
少彦名命(スクナヒコノミコト)
通称、恵比寿さま
文徳天皇の斉衡3年(856)12月29日に常陸国鹿島郡大洗磯前にご祭神大己貴命・少彦名命が御降臨になりました。里人の一人が神がかりになり、「我は大奈母知、少比古奈命なり。昔、この国を造り常世の国に往きけり。今、再び民を済うため、帰えれり」と仰せられ、大洗磯前神社と酒列磯崎神社が創建されました。
【ご神徳】
大己貴命は大黒さまともいわれ、慈悲深い福徳を授けます。また、少彦名命は医薬の祖神と仰がれ、万民の難病を救います。
大洗磯前神社の御朱印
国づくりの神・大己貴命とそれを助けた少彦名命
大己貴命は出雲の国づくりの神・大国主神。「因幡のしろうさぎ」のうさぎを助けた神としてよく知られています。が、少彦名命はあまり知らない方も多いのではないでしょうか。そこで、『古事記』での少彦名命をご紹介します。
ある日、オオクニヌシが出雲の御大之岬(みほのみさき)にいると、小さなガガイモの船に乗った小さな神がやってきました。オオクニヌシは尋ねました。
「あなたの名前は、なんというのですか?」
神は答えません。周囲の者も誰も知りません。ただ一人タニグク(ヒキガエル)が言いました。
「クエビコ(田のかかし)が知っているでしょう」
クエビコを呼んで尋ねると、答えました。
「この方は、カムムスヒノカミの御子
スクナビコノナノカミでいらっしゃいます」
カムムスヒノカミは、原初の神ともいうべき古い神(別天神 - ことあまつかみ)です。
カムムスヒノカミは、オオクニヌシが一度目に兄たちに殺され、母サシクニワカヒメが高天原に助けを求めた時、キサカイヒメとウムキヒメを送ってくれた神です。
オオクニヌシが素性を確かめるべく、カムムスヒノカミにお伺いをたてると、お言葉がありました。
「自分の子である。私の手の指の間から生まれ落ちた神である。
おまえの兄弟として一緒に国づくりをしなさい」
こうして、オオクニヌシとスクナビコノナノカミは国づくりに励みました。
大洗磯前神社の隋神門
隋神門の左前にある福の神さま
「大黒さま・恵比寿さまは大洗磯前神社の大神さまです。たくさん撫でて大福をいただいてください」と書いてありますので、失礼でしたが、頭とお顔をたくさん撫でてきました。
大洗磯前神社の拝殿
大洗磯前神社の本殿(一番左の建物)
大洗磯前神社・拝殿と右前にある「ぶじかえる」
拝殿で参拝してから、右前にある「ぶじかえる」に帰りの安全を願いました。
大洗磯前神社・拝殿前の階段の鳥居。ここを降りると第二の鳥居があります。
大洗磯前神社・第二の鳥居
鳥居の前の道路を渡ったところから、すぐ先の海岸に神磯の鳥居があります。
次の記事では、大洗磯前神社の姉妹神社ともいうべき「酒列磯前神社」をご紹介します。酒列磯前神社の300メートルほどの参道が、素晴らしい樹木のトンネルです。