【四季の旅】2018年1月20日(土曜日)
富士山・浅間神社5社めぐり その②
【目 次】
北口本宮冨士浅間神社は、杉並木の参道から始まる
今回の5社めぐりの中で一番のパワーを感じたのが、この北口本宮冨士浅間神社でした。2017年11月に行った戸隠神社・奥社のような杉並木の参道があります。ひんやりとした空気が清々しく、身が引きしまります。
過酷な修行を積んだ角行の立行石
参道に入ってすぐ右に、富士山開祖の「角行の立行石」があります。立札にはこうあります。
「角行(藤原武邦)が吉田の地を訪れ、富士山を遙拝(ようはい)し、酷寒の中を裸身にて、石上に爪立ちして30日の荒業をした。全身より、血を噴き、里人の勧めで行を止めたと伝えられている」。現代人では考えられない過酷な修業ですね。
※遙拝(ようはい)とは、遠く隔たったところから富士山を拝むこと
日本最古の木造の大鳥居と冨士夫婦檜
ヤマトタケルが建てたと言われる日本最古の木造の大鳥居をくぐり、随神門を通りぬけると、拝殿の左前にある「太郎杉」は山梨県指定、右にある「冨士夫婦檜(ヒノキ)」は富士吉田市指定の天然記念物です。
賽銭箱の上の二つの天狗の面
参拝のために並んでいてビックリしたのは、賽銭箱の上にある大きな二つの天狗の面です。コノハナサクヤヒメの父神オオヤマツミです。
「安易にお願いごとをしてはダメだ、まずは自分で努力せよ」と叱られているようでした。ですから、ここではコノハナサクヤヒメではなく、「富士の大天狗オオヤマツミノミコトに祈ります」と声をかけましょう。
ヤマトタケルを祀った「大塚丘」
拝殿の左周りに奥の東宮、西宮、さらに奥の冨士登山道吉田口の祖霊社の奥から道路に沿って3分ほど歩きます。すると、左にヤマトタケルを祀った「大塚丘」があります。ヤマトタケルが東征のとき、富士を遠拝し戦勝祈願をした場所です。このヤマトタケルが大鳥居を建てられ、「富士の神山は北方より登拝せよ」との言葉を残したとされています。
「なぜ、ここに諏訪神社が?」
大鳥居の右側奥にある諏訪神社と拝殿
ホームページの下の方「諏訪神社と火祭り」の説明にこうあります。
「諏訪の神様が追われて逃げていた際のある夜、当地住民が手に松明を持ってお迎えしたのを、追手は援軍と見間違えて退却したので、諏訪の神様は当地にしばらく滞在なさった、それでこの地を「諏訪の森」と呼び、地主神として諏訪神社を祀った」
祭神は、タケミナカタとその妃ヤサカトメノカミです。
冨士御室浅間神社・本宮は、富士山最古の神社
今回参拝するのは冨士御室浅間神社・里宮と本宮ですが、富士2合目にある「本宮」には参拝しません。
バスは本宮のわきにある駐車場に止まり、西鳥居から入ります。ですから、春には桜が満開になる参道を歩きませんでした。
冨士御室浅間神社は、坂上田村麿、藤原秀郷、源頼朝、武田家、徳川家などの有力な武将の祈願所であったとパンフレットにありました。また、室町時代には、武田三代(信虎・震源・勝頼)から庇護を受けたともあります。
本宮(富士2合目にある冨士御室浅間神社奥宮)は、富士山最古の神社です。1612年(慶長17年)に徳川家の臣で領主鳥居成次が造営、その後4回の大改修を経たものを、保存のため1974年(昭和49年)に現在地へ遷祀したものです。
少し説明が難しいので、興味のある方は【冨士御室浅間神社ホームページ】を参照してください。
里宮は、958年(天徳2年)村上天皇が、崇敬者の礼拝儀祭の便を図るため、現在の場所へ建立されました。里宮(本殿)から歩いて2分ほどで、川口湖畔に出ます。川口湖畔から神社の森の横に、富士山が見られました。今日はずっと曇り日でしたが、日々の行いがいいのかな!
百福の龍宝珠と不老長寿の像
里宮の隋神門の横にある「百福の龍宝珠」は、珍しい珠の形をしています。立札の説明には「上昇、隆盛を意味する龍で宝珠を象ることで、国家・地域の繁栄を祈願します」とありました。
また、境内にはあまり見たこともないような「不老長寿の像」もありました。そもそもこの像はなんなのか、なんでここにあるのか? よくわかりませんでした。
【四季の旅】富士山・浅間神社5社めぐり その③
▶︎【浅間神社5社めぐり】朝霧高原・山宮浅間神社と富士山本宮浅間大社