【目 次】
雄略天皇の夢枕にたったアマテラス
第21代雄略天皇の夢枕にアマテラスが現れ、こう告げました。
自分一人では食事が安らかにできないので、
丹波国の比治の真奈井(ひじのまない)にいる
御饌の神、等由気太神(とゆけおおかみ)を
近くに呼び寄せなさい。
(伊勢神宮外宮の社伝『止由気宮儀式帳』より)
丹波国=京都府における丹波地方
御饌(みけ)=神に供える食べ物。高貴の人、特に天皇の食べ物
こうして、伊勢神宮の[外宮]豊受大神宮(とようけだいじんぐう)は、第21代雄略天皇22年(478年)にご鎮座されました。
伊勢神宮の[内宮]皇大神宮(こうたいじんぐう)が、第11代垂仁天皇26年(BC4年)にご鎮座されてから、482年後のことです。
伊勢神宮[外宮]豊受大神宮のご案内
東海旅客鉄道(JR東海)・近畿日本鉄道(近鉄)の伊勢市駅・駅前から南東へ外宮参道を6〜7分で外宮の表参道火除橋に着きます。なお、この外宮参道の両側には、食事処がたくさんあります。土産物店もありますので、参拝後にゆっくり歩いてみてください。
表参道火除橋を渡ると、すぐ右に清盛楠(きよもりくす)が見えます。樹齢900年以上。平清盛が天皇陛下の勅使として伊勢神宮[外宮]を参拝した時、冠にふれた楠の木の枝を切らせたことからこう呼ばれます。清盛楠の反対側、左手に手水舎があります。
手水舎の後ろの方にあるのはせんぐう館。しかし、平成29年10月の台風21号による 浸水被害があり、2018年12月の時点では入れませんでした。せんぐう館の前の勾玉池も遠目に見るしかありませんでした。
手水舎から第一の鳥居、第二の鳥居(上の写真)を通り抜けると、右に神楽殿が見えてきます。さらに先へ行きますと、20年ごとの式年遷宮による前に正宮があった古殿池(下の写真)。その先に外宮の正宮がありました。
この鳥居の中は、撮影禁止です。
伊勢神宮[外宮]ご祭神
豊受大御神(トヨウケノオオミカミ)アマテラスのお食事を司る御饌都神(みけつがみ)
伊勢神宮[外宮]ご利益
衣食住、産業の守り神
参拝後、古殿池の方に戻ると右に三つ石、右に曲がり「亀石」を渡ると右に土宮(つちのみや)と下御井神社(しものみいのじんじゃ)にでます。三つ石のしめ縄の中には、けっして手を入れないでください。一般的に、しめ縄の中は結界で、普通の人が踏み入れてはいけない境界を示しています。
「亀石」の先、左手に風の神をお祀りした風宮(かざのみや)、その石垣には縁結びのハート石が見られます。先の左の階段を登っていくと豊受大御神(トヨウケノオオミカミ)の荒御魂を祀った多賀宮(たがのみや)があります。
荒御魂(アラミタマ)と和御魂(ニギミタマ)は、神様の二面性を表します。荒御魂は荒々しい性格と現象を起こす面で、和御魂は神様の優しさとご利益を与えてくださる面を表しています。
和御魂(和魂)は、幸魂(さきたま、さきみたま、さちみたま)と奇魂(くしたま、くしみたま)に分けられます。幸魂は、人に幸を与え、収穫をもたらします。奇魂は、奇跡によって人に幸を与える働きで、知識才略、学問、技術を表します。
この階段を上ったところに多賀宮があります。
亀石に戻り、社務所(神楽殿)の前を左に曲がり九丈殿、五丈殿、忌火屋殿(いみびやでん)、御馬(みうま)、北御門(きたみかど)鳥居を抜けて外宮から出ます。
忌火屋殿
毎日朝夕二度神様にお食事をお供えします。このことを、日別朝夕大御饌祭(ひごとあさゆうおおみけさい)といいます。
北御門鳥居
伊勢神宮・外宮(豊受大神宮)の御朱印
伊勢神宮[外宮]別宮:月夜見宮(つきよみのみや)
月夜見宮は、伊勢神宮[外宮]の北御門から西へ伸びる神路通り(かみじどおり)を7〜8分歩いたところにあります。樹齢数百年の楠を始め、たくさんの木々に囲まれた神域です。ほんとうに、市街地にあるとは思えないほど静かでした。
【ご祭神】
月夜見尊(ツキヨミノミコト)アマテラスの弟神
月夜見尊荒御魂
アマテラス、ツクヨミとスサノヲは三貴神と言われます。イザナギが死んだイザナミを求めて黄泉の国に行きます。が、イザナミの変わり果てた恐ろしい姿を見て現世に逃げ帰ります。現世と黄泉の国の境を黄泉比良坂(よもつひらさか)といいます。
黄泉の国に行った穢れ(けがれ)を落とすために、イザナギは川に入り禊(みそぎ)をします。この時、左目を洗うとアマテラス、右目を洗うとツクヨミ、鼻を洗うとスサノヲが生まれました。イザナギは満足して、こう言いました。
「自分はたくさんの子を生んできたが、最後に三柱の貴い子を得た」
月夜見宮(つきよみのみや)の御朱印