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タケミカヅチノカミ

鹿島神宮のご祭神タケミカヅチノカミとは?

タケミカヅチの誕生

「愛するイザナミの命を、たった一人の子の命とかえるとは思いもしなかった」

カグツチを生んだイザナミは、子の火力でほと(女陰)をやけどし、死んでしまいます。イザナギはイザナミの亡骸を埋葬しましたが、悲しみはいつまでも癒えません。ついに、悲しみは怒りに変わり、十拳剣(とつかのつるぎ)を手に取ると、カグツチの首をはねました。

剣の切っ先についた血が岩に飛び散り、イワサクノカミ、ネサクノカミ、イワツツノオノカミの三柱の神が生成しました。また、剣の根元についた血が岩に飛び散り、ミカハヤヒノカミ、ヒハヤノカミ、そしてタケミカヅチノカミの三柱の神が生成したのです。

神武天皇を助けるタケミカヅチの剣・布都御魂

「我々は日の神の御子なのに苦戦したのは、日の昇る東に向かって戦ったからだ。これからは日を背にして戦おう」

カムヤマトイワレビコ(後の神武天皇)の東征時、兄のイツセノミコトは早々に死んでしまいました。しかし、一行はさらに南へ向かい熊野村に着いた時、カムヤマトイワレビコと家来たちは具合を悪くし、寝込んでしまいます。

この時、熊野の高倉下(たかくらじ)が、カムヤマトイワレビコに一振りの太刀を奉りました。すると、天つ神御子と家来の体調も良くなり、その太刀を手にすると、熊野の荒ぶる神を倒すことができたのです。

カムヤマトイワレビコは不思議に思い、高倉下にその太刀のいわれを問いました。

高倉下が告げた不思議な夢

アマテラスとタカギノカミが、タケミカヅチを呼んでこう述べました。「お前が説得して平定した葦原中国はたいへん騒がしい。私の子は苦戦しているようだ。だから、お前が降って助けなさい」

タケミカヅチは、答えました。「私が降っていかなくても、その国を平らげた太刀があります。高倉下の蔵の屋根に穴を開けて、その太刀を下ろします」

それから、夢の中でタケミカヅチは私にも申しつけしました。「朝目覚めたら蔵に行き、その太刀を天つ神御子に献上しなさい」

この太刀は、布都御魂(ふつのみたま)といい、奈良県の石上神宮(いそのかみじんぐう)に鎮座しています。布都とは、物を切断する時の音で「フッ」と切れるほど鋭いことを表しています。

タケミカヅチの最大の功績「出雲の国譲り」

葦原中つ国は、わが子に治めさせるべき国である。しかし、荒ぶる国つ神が多くいる。さて、誰を派遣して彼らを説得するべきであろうか

アマテラスとタカミムスヒノカミは、八百万の神を天の安の河の河原に集めました。オモイノカネに思案させて詔(みことのり)を発しました。

しかし、葦原中つ国へアメノホヒノカミ、アメノワカヒコ、鳴女(なきめ - キジ)と、3回も派遣したにもかかわらず、オオクニヌシに阻止されたままでした。

そして、4回目の使いがタケミカヅチアメノトリフネです。

タケミカヅチノとアメノトリフネの二柱の神は、出雲の稲佐浜に降り立ちます。そのあとタケミカヅチは剣を抜き、剣先を上にして海にさしました。そして、剣先の上にあぐらをかいてオオクニヌシに問いました。

「我々はアマテラスとタカムスヒノカミの神の使いである。葦原中つ国は、アマテラスの御子が治めるべき国であると詔を発した。汝はどう思われるか」

オオクニヌシは、こう答えました。
「私にはお答えできません。我が子コトシロヌシからお答えさせましょう。けれど、息子は鳥を狩りに、魚を海に釣りに出かけて、帰っていません」

そこで、タケミカヅチはアメノトリフネを遣わし、コトシロヌシノカミを連れてこさせ尋ねると、
「かしこまりました。葦原中つ国は、アマテラスの御子に奉ります」と返事をしたコトシロヌシ。

しかし、オオクニヌシにはもう一人直系の息子タケミナカタがいます。この息子は腕力が強かったので、タケミカヅチに戦いを挑みました。

しかし、タケミナカタはあっけなくタケミカヅチにやられてしまいます。そして、諏訪まで逃げたのです。タケミカヅチが諏訪まで追いかけると、タケミナカタは降伏し、諏訪から出ないことを誓いました。

こうして、出雲の国譲りが成就したのです。その時、オオクニヌシは大きな社(出雲大社)を立てることを許されたのです。

鹿島神宮のご祭神タケミカヅチノカミのご神徳

勝利祈願・必勝祈願/旅の安全(鹿島立ち)/縁結び・安産など

 

鹿島神宮の奥宮鹿島神宮の奥宮

鹿島神宮の奥宮

奥宮には、タケミカヅチの荒御魂(あらみたま)が祀られています。神の荒ぶる側面が荒御魂、穏やかな優しい面が和御魂(にぎみたま)といいます。

タケミカヅチノカミ

錦絵「鯰絵」

ところで、浮世絵・錦絵「鯰絵(なまずえ)錦絵1枚物」「鯰絵(なまずえ)錦絵2枚物」があるのをご存知ですか。
「要石」と書いてある絵もあります。鯰絵は縦長の1枚もの(88枚)と横長の2枚もの(83枚)があり、とても面白いです。浮世絵で、地震という悲惨さを笑い飛ばしている江戸っ子気質を感じます。

鹿島神宮と奥宮の御朱印

鹿島神宮と奥宮の御朱印