神厩舎
日光東照宮の三猿は、なぜ神厩舎(しんきゅうしゃ)に彫られたのでしょうか。
それは、古くから猿が馬を守る存在と信じられてきたためです。この三猿の彫刻は、日本の名工・左甚五郎の作と伝えられています。
さらに、この謎を解くために左甚五郎の生涯についても調査しました。また、三猿の彫刻が江戸幕府によって神厩舎に設置された背景には、どのような意図があったのでしょうか。
この記事では、その詳細を分かりやすく解説します。
【目 次】
日光東照宮の三猿はなぜ作られた?
日光東照宮の神厩舎は、神様に仕える馬をつなぐための厩(うまや)であり、古くから猿が馬を守る存在として信じられてきました。この信仰は「猿が馬の病気を治す」という言い伝えに由来し、神厩舎には猿の彫刻が施されています。
馬の守り神としての猿
猿は馬の守り神とされ、特に神厩舎では猿が馬を守る役割を持つと信じられています。この信仰は室町時代まで遡ることができ、実際に馬屋に猿をつないでいたという記録も残っています。
彫刻の意味
神厩舎には、8面にわたって猿の彫刻が施されており、これらは人間の一生を風刺しています。特に有名な「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿は、「子供が悪いことを見たり聞いたり言ったりしないように育てる」という教訓を表しています。
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陰陽五行説と馬・猿の関連
陰陽五行説では、馬は火を象徴し、猿は水を象徴するとされています。そのため、「火を守る水」という関係から「馬を守る猿」という考えが生まれました。
三猿を彫った左甚五郎の謎
三猿の彫刻は、伝説の名工・左甚五郎(ひだりじんごろう)が手がけたとされています。
左甚五郎の彫刻は全国で約100箇所に残っていますが、これらの彫刻には100年ほどのタイムラグが見られることから、「左甚五郎は1人ではなかったのかもしれない」という説もあります。
左甚五郎は江戸時代初期に活躍した伝説的な彫刻師であり、宮大工としても知られています。その存在を疑う逸話もありますが、実在の人物として記された文献も存在します。
以下では、左甚五郎の生涯や業績、伝説について詳しく説明します。
左甚五郎の生涯
誕生と背景
1594年、左甚五郎は播磨国明石(現在の兵庫県明石市)で生まれました。父は足利家の家臣・伊丹左近尉正利で、父の死後、叔父のもとで育ちました。
弟子入りとキャリアの始まり
1606年、左甚五郎は京伏見の禁裏大工棟梁・遊左法橋与平次の弟子となり、1619年に江戸に移り、将軍家の大工頭・甲良宗広の女婿となりました。
業績
江戸城の改築に関わり刺客に襲われましたが、退けて高松藩に亡命しました。1640年に京都に戻り禁裏大工棟梁となり、その後、高松藩の役職を得ました。
死去
1651年頃に亡くなったとされ、享年58歳でした。
左甚五郎の伝説と逸話
名前の由来
左甚五郎の名前にはいくつかの説があります。彼が左利きであったため「左」と名乗ったという説や、飛騨の匠たちを代表する存在として「飛騨の甚五郎」が訛って「左甚五郎」になったという説があります。
人情味あふれるキャラクター
左甚五郎は、酒好きで人情に厚い性格として描かれ、落語や歌舞伎の題材にもなりました。宿の経営に困っている親子にネズミの彫り物をプレゼントするなどのエピソードが伝わっています。
作品の評価
彼の彫刻は非常にリアルで、時にはその作品が夜に動き出すという伝説も生まれました。特に「眠り猫」は、平和な時代の象徴として評価されています。
左甚五郎作と言われる主な作品
日光東照宮の「眠り猫」
日光東照宮の「眠り猫」
この彫刻は、家康の霊廟の入り口を守る重要な作品であり、穏やかな表情が特徴です。また、神厩舎の「見ざる聞かざる言わざる」も左甚五郎の作品と言われています。
上野東照宮の「昇り龍」「降り龍」
こちらも彼の代表作の一つで、力強い表現が評価されています。
三井寺(園城寺)「閼伽井屋の龍」
「閼伽」とは仏に供える水のことで、屋内の岩組から湧き出る霊泉は、天智・天武・持統の三天皇が産湯に用いたと伝えられています。
左甚五郎は、実在の人物であるかどうかは議論の余地がありますが、彼の名は日本の伝説的な職人として広く知られ、今なお多くの人々に親しまれています。
三井寺(園城寺)「閼伽井屋の龍」
江戸幕府と神厩舎
日光東照宮の神厩舎は、江戸幕府の初代将軍である徳川家康を祀る重要な施設であり、幕府の権威や信仰の象徴としての役割を果たしています。以下に、江戸幕府と神厩舎の関係について詳しく説明します。
神厩舎の役割と歴史
神馬の奉納
神厩舎は、神様に仕える馬、すなわち「神馬」をつなぐための厩(うまや)です。江戸時代には、神馬を奉納する風習があり、特に徳川家康の愛馬がこの場所で守られることが重要視されていました。神馬は、家康の霊を守る存在とされ、神厩舎はそのための特別な場所として設けられました。
建設の背景
神厩舎は1636年に徳川家光によって再建され、家康の遺命に従って設置されたものです。家光は、祖父である家康を神格化し、その霊を守るためにこの厩舎を重要視しました。
文化的意義
三猿の彫刻は、日光東照宮の中でも特に観光客に人気があり、人生の教訓を伝える象徴としても知られています。これにより、神厩舎は単なる馬小屋以上の文化的・宗教的な意味を持つ場所となっています。
江戸幕府の象徴としての神厩舎
権威の象徴
神厩舎は、江戸幕府の権威を象徴する場所でもあります。家康が神格化され、彼の霊を守るための施設としての神厩舎は、幕府の安定と繁栄を願う象徴的な存在です。神馬を通じて、幕府の力と神聖さが結びついています。
重要文化財
神厩舎は、1908年に国の重要文化財に指定されており、その歴史的価値が認められています。江戸時代の建築様式を持つこの厩舎は、当時の文化や信仰を反映した貴重な遺構です。
このように、日光東照宮の神厩舎は、江戸幕府の歴史や信仰、文化を深く反映した重要な施設であり、家康の霊を守るための特別な場所としての役割を果たしています。
日光東照宮 神厩舎の三猿はなぜ彫られた?[まとめ]
日光東照宮の神厩舎に彫られた三猿「見ざる・言わざる・聞かざる」とその他の猿たち、それは馬の守り神としての意味を持ち、陰陽五行説とも深く関連しています。
左甚五郎という名工の手によるこれらの作品は、ただの装飾ではなく、江戸幕府の精神と意志を象徴するものでした。
歴史と神話、そして技術が見事に融合したこの三猿を通じて、当時の文化や社会背景を垣間見ることができます。
神厩舎という特別な場所に三猿が彫られた理由を理解することによって、日本の歴史と共に息づく芸術の深い魅力が感じられるでしょう。