日光東照宮の五重塔は、徳川家康を祀る重要な建造物として、歴史と信仰の深い結びつきを示しています。
五重塔は1650年に創建されましたが、火災で消失し、数百年の歴史を経て1818年に再建されました。精巧な彫刻や独特の建築技術で知られ、特に十二支の彫刻や「心柱」の構造が注目されています。
また、東京スカイツリーの高さ634メートルという数値には、日光東照宮の五重塔との関連があり、その影響が現代の建築にも受け継がれています。
この記事では、五重塔の創建から再建、建築美に至るまで、その魅力と歴史的背景を探りながら、五重塔が持つ深い意味と現代への影響を詳しく解説します。
【目 次】
五重塔の歴史と創建について
創建の背景と時代背景
日光東照宮の五重塔は、慶安3年(1650年)に建てられました。この時代は「江戸時代初期」にあたり、平和が続き、文化や技術が大きく発展していた時期です。
徳川家康を祀る日光東照宮は、江戸幕府の権威を象徴する重要な存在であり、多くの参拝者が訪れる中心的な場所でした。そのため、五重塔は単なる建築物ではなく、宗教的・政治的な意味を持つ重要な建造物と位置づけられました。
酒井忠勝と五重塔建立の意図
五重塔の建設を主導したのは、江戸幕府の重臣・酒井忠勝です。彼は徳川家康の偉業を称え、その精神を後世に伝える目的で五重塔の建立を手がけました。
当時の最先端技術が設計や彫刻に取り入れられ、この建築物は「日光」という特別な地のエネルギーを反映したものとされています。また、徳川家の繁栄を祈る意味も込められていました。
火災と再建の歴史
初代の日光東照宮の五重塔は落雷で焼失しました。その後、文政元年(1818年)に酒井忠進の手によって再建されました。この再建によって、五重塔は日本の建築技術の粋を結集したものとなり、その価値がさらに高まりました。
再建された五重塔は、600年にわたる日本の塔建築の技術と美意識を象徴する重要な文化財といえます。
五重塔が示す象徴的な意味
五重塔は、その構造を通じて仏教の宇宙観を象徴しています。各層は下から順に「地」「水」「火」「風」「空」の五大を表し、仏教における宇宙の基本要素を示しています。具体的には、基礎部分が「地」、塔身が「水」、笠(屋根)が「火」、請花(うけばな)が「風」、最上部の宝珠が「空」を象徴しています。
これらの要素は自然界の調和を表しており、それぞれに意味があります。
- 地:大地を意味し、安定と不動を象徴します。
- 水:流動性を持ち、変化と適応を示します。
- 火:エネルギーと情熱、生命力の象徴です。
- 風:自由と動きを表し、広がる力を意味します。
- 空:空間や虚無を示し、すべての存在の根源を表現しています。
五重塔は、これらの要素が調和することで、宇宙の秩序と美しさを体現しているのです。
五重塔の建築美と「心柱」構造
五重塔の建築美術
日光東照宮の五重塔は高さ約36メートルを誇り、五層の屋根が重なる優雅な外観を持っています。各層の屋根幅は均一で設計されており、これは冬に上層から落ちる雪が下層の屋根を傷つけない工夫でもあります。
塔全体は鮮やかな朱色で彩られ、精巧な彫刻が施されています。特に一階部分には「十二支の彫刻」があり、四面それぞれに異なる動物が描かれています。これらは塔を守護し、東西南北の調和をもたらす象徴としての意味が込められています。
さらに、柱と屋根の接合部には釘や金属を使わない「木組み」の伝統技術が採用されています。この技術は日本の建築文化を体現しており、建築技術と美術が融合した五重塔は、日光東照宮が重要文化財として評価される大きな理由の一つです。
心柱の役割と建築技術
五重塔の中心には、「心柱」と呼ばれる直径約60センチメートルの柱が設置されています。この心柱は四層目の屋根から吊り下げられ、地面から約10センチメートル浮いている構造になっています。
この「振り子」のような構造は、地震や強風といった自然災害に対して塔全体の耐久性を向上させます。振動を吸収し、揺れに強い設計を実現しており、この優れた耐震構造は現代の東京スカイツリーの設計にも応用されています。
また、心柱の最下部には金箔が施され、その美しさは日光東照宮の建築美を象徴する重要な要素となっています。
日本建築史における重要性
日光東照宮の五重塔は、日本建築史において特別な位置づけを持つ建造物です。この塔は徳川家康を祀るために建てられ、時代背景や宗教的意義が反映されています。
特に、木造建築が自然災害に耐えるために発展した設計技術は、日本建築の大きな特徴の一つです。五重塔の耐震構造はその代表例であり、現代の建築物にも受け継がれています。この伝統技術は、日本の文化や知恵の象徴といえます。
さらに、日光東照宮が「日光の社寺」として世界遺産に登録されていることは、この五重塔が国内外で高く評価されていることを示しています。
五重塔の十二支の彫刻とその意味
五重塔の東側正面:辰・卯・寅
なぜ十二支の彫刻が彫られた?
日光東照宮の五重塔の初層には、十二支の彫刻が施されています。これらの彫刻は建物の四面に各三種類ずつ配置され、それぞれの動物が特定の方角を守護するよう設計されています。
十二支は、道教や陰陽道において方位や時間を表す際に使われ、各動物が守護する方角が決まっています。五重塔の十二支彫刻は、この考えに基づき正確な方位に対応して配置されており、東照宮全体を守護する意味を持たせています。
これらの彫刻は単なる装飾ではなく、建物の守護や徳川家の繁栄、訪れる人々の平安を祈願する象徴的な役割を果たしています。また、これほど精緻な彫刻は、当時の職人たちの高い技術と美的感覚を今に伝えるものであり、重要文化財としての価値を一層高めています。
五重塔の正面はなぜ寅から始まる?
日光東照宮の五重塔の正面(東側)には、十二支の彫刻が「寅(虎)」から始まっています。本来、干支の順序は「子」から始まるのが一般的ですが、ここでは特別な理由で「寅」が採用されています。
正面には、右から順に「寅(虎)」「卯(兎)」「辰(龍)」が配置されています。この順番は、徳川家康が寅年、徳川秀忠が卯年、徳川家光が辰年生まれであることに由来します。ですから、徳川家への敬意を表して「寅」から始める配置が選ばれたと考えられています。
※家康は卯年生まれとする説もあります。
さらに、「寅」は風水や方位学的な観点からも特別な意味を持つ可能性があります。寅は東北を象徴し、これは境内全体の風水的な設計とも関連していると推測されます。
このように、十二支の彫刻やその配置には、深い歴史的・文化的意義が込められており、五重塔の魅力をさらに引き立てています。訪れる人々は、その細部にまで施された工夫に驚き、感動を覚えることでしょう。
五重塔と東京スカイツリー〜634と心柱〜
高さ634mに秘められた意味
東京スカイツリーの高さ634メートルには、日光東照宮の五重塔との深いつながりがあります。
日光東照宮の五重塔は、栃木県日光市の標高約630メートル付近に位置しており、この地の高さがスカイツリーの設計者にインスピレーションを与えたとされています。スカイツリーの「634」という数字は、五重塔やその周辺の歴史的建造物が持つ日本の伝統的な象徴性を継承しつつ、現代の建築美と技術を融合させたものです。
さらに、「634」という数値は、「武蔵(むさし)」という語呂合わせにもなっており、日本文化の背景を反映した設計の一環といえます。こうして、日光東照宮と東京スカイツリーのつながりは、歴史と現代を結ぶ象徴的な存在として際立っています。
スカイツリーにも応用された「心柱」の技術
東京スカイツリーの建築には、日光東照宮の五重塔に用いられている「心柱」構造が応用されています。
五重塔の心柱は、塔の屋根部分から吊り下げられる構造で、地震時に振り子のように揺れることでエネルギーを分散します。この仕組みのおかげで、五重塔は数百年にわたり地震や災害から守られ、その優れた耐久性を誇っています。
スカイツリーでもこの原理を活用し、中心部に心柱に似たコア構造を採用しています。この設計により、地震や強風などの外的要因にも柔軟に対応できる高い耐震性と安全性が実現されています。スカイツリーの「心柱」は、重心をコア部分に集中させたセントラル構造となっており、伝統的技術を現代建築に応用した好例といえるでしょう。
このように、日光東照宮の五重塔が持つ伝統的な建築技術や知恵は、現代の最先端建築にも受け継がれています。それは、日本建築の強靭さと美しさを体現する象徴であり、歴史と未来をつなぐ誇りある文化遺産でもあるのです。
「心柱」を図と写真で理解する
>>心柱(心柱制振)巨大な電波塔と五重塔の心柱
日光東照宮の五重塔の歴史と魅力[まとめ]
日光東照宮にそびえる五重塔は、徳川家康を祀る象徴的な建造物であり、1818年に酒井忠進によって再建されました。一階部分を飾る十二支の彫刻は、装飾美と建物の守護の象徴として特に魅力的です。
五重塔が建つ敷地は標高634メートル付近に位置し、その高さは東京スカイツリーの設計にも影響を与えました。歴史的背景と近代建築技術を結ぶ象徴といえるでしょう。
また、五重塔には日本伝統の建築技術が凝縮されており、特に地震に強い「心柱」構造は注目されています。この技術は東京スカイツリーにも応用され、現代建築においても重要な役割を果たしています。
日光の世界遺産である五重塔は、歴史好きやパワースポットを訪れたい人々にとって必見の名所です。