日光東照宮 奥社に秘められた謎は、訪れる人々の興味を引きつけてやみません。
特に奥社にある「鶴と亀」の像は、単なる吉祥の象徴にとどまらず、わらべ歌「かごめかごめ」の歌詞と深い関係があるとされ、さらには徳川埋蔵金にまつわる都市伝説の鍵であるという説も存在します。
鶴や亀、影、そして暗号めいた歌詞――これらが織りなす謎解きの世界を探ることで、日光東照宮が持つ表面的な美しさを越え、歴史に秘められた深遠な物語に触れることができるのです。
この記事では、日光東照宮 奥社の「鶴と亀」に焦点を当て、その謎と真相を追求します。日光の悠久の歴史と伝説の奥深さを一緒に探っていきましょう。
日光東照宮奥社の鶴と亀像
鶴と亀の像がある日光東照宮奥社
日光東照宮奥社の概要と歴史
日光東照宮奥社は、徳川家康を祀る神聖な場所として知られています。
東照宮全体の中心的存在であり、家康公の意志を後世に伝えるために建立されました。1617年(元和3年)に創建され、その後、三代将軍徳川家光によって現在の豪華な建築様式に再建されています。
奥社は東照宮の最奥部に位置し、家康公の御霊が鎮められている場所です。その神聖さから、多くの参拝者が訪れる特別なスポットとなっています。
鶴と亀像が象徴するもの
日光東照宮奥社にある鶴と亀の像は、不老長寿や繁栄を象徴しています。
鶴は天空を舞う高貴な存在を、亀は長寿と地に根付いた安定を表しています。この彫刻は、東照宮の神聖な雰囲気を引き立てるだけでなく、日本文化における「めでたいもの」の象徴としても知られています。
さらに、鶴と亀の像は東照宮の他の建築要素とも見事に調和しており、その繊細なデザインは訪れる人々を魅了します。
鶴の嘴と足は拘束されている?
東照宮のデザインに秘められた意図
日光東照宮の彫刻や建築物全体には、深い意図が込められています。
鶴と亀の像もその一部であり、徳川家の繁栄と永続性を祈る象徴的な存在です。また、その配置や向きには特別な意味があり、東照宮全体が一つの巨大なメッセージを持った芸術作品であることを示しています。
東照宮のデザインは、風水や陰陽五行思想に基づいて作られており、日本の伝統文化としての深みと美しさを体現しています。
朝日と影の関係性とは?
日光東照宮の鶴と亀の像は、特定の時間帯になると朝日に照らされ、微妙な影を生み出します。この影の形状や方向には長年多くの人々が興味を抱いてきました。
一説によると、この影が徳川埋蔵金の在処を示しているとも言われています。また、「かごめかごめ」の歌詞に登場する「夜明けの晩」という表現とも関連付けられ、光と影に隠された謎として解釈されています。
特に、鶴と亀の像が朝日と共鳴することで、東照宮全体が時を超えた「謎解きの舞台」となるのです。
「かごめかごめ」歌詞とその謎
「かごめかごめ」歌の背景にある暗号性
「かごめかごめ」は、日本の古いわらべ歌として親しまれていますが、その歌詞には歴史的背景や暗号的な意味が隠されているとも言われています。
一見すると子供向けの遊び歌のようですが、実際には徳川埋蔵金や日光東照宮に関する暗号を含んでいるという説があります。特に、「かごめ」が六芒星を示唆していると解釈される場合もあり、この六芒星は日光東照宮の彫刻やデザインの配置と一致すると考えられています。
このように、「かごめかごめ」は単なるわらべ歌を超え、歴史的な意図や隠されたメッセージを含んでいる可能性があるとされ、多くの研究者や愛好家の興味を引きつけています。
「鶴と亀がすべった」の解釈
「かごめかごめ」の中でも、「鶴と亀がすべった」という歌詞は特に神秘的で、解釈が分かれる部分です。
表面的には、鶴と亀がバランスを崩して滑った様子を表現しているように見えます。しかし、「すべった」を「統べた」と読み替える解釈もあります。「統べた」とは、物事を統治したりまとめたりすることを意味し、徳川家康が日本を統一した象徴と結びつける考え方です。
さらに、日光東照宮の奥社にある鶴と亀の彫刻の配置やその影の動きが、埋蔵金の場所を示しているという説もあります。このように、「鶴と亀がすべった」は比喩にとどまらず、具体的な歴史的な伏線として解釈される可能性があります。
かごめかごめと六芒星
「夜明けの晩」の意味
「夜明けの晩」という矛盾した表現も、「かごめかごめ」の歌詞における謎の一つです。
一見すると、夜明けと晩が同時に存在することは不可能に思えますが、この表現は「移り変わる瞬間」を象徴していると考えられています。この瞬間は、日光東照宮の設計やその配置で重視された太陽の動きと深く関連している可能性があります。
特に、朝日が鶴と亀の彫刻に差し込む際にできる影には特別な意味があるとされ、その光と影が埋蔵金の在処を示唆しているという説も存在します。「夜明けの晩」は「変化の象徴」として、新たな始まりや隠された秘密の発見を暗示しているのかもしれません。
そして、鶴の彫像を見ると、鶴の足と嘴に金輪が嵌まっています。これは、鶴が飛ぶと埋蔵金の位置を示す影が変わるのを防ぐためかもしれません。
歌詞と東照宮の関係性
「かごめかごめ」の歌詞と日光東照宮の関係性は、多くの研究者や歴史愛好家の間で議論されています。このわらべ歌に登場する「籠」、「鶴と亀」、「後ろの正面」などの言葉が、東照宮に存在する彫刻や象徴物と一致する点が興味深いからです。
例えば、「籠の中の鳥」は東照宮の鳥居の形状やその象徴性を暗示していると考えられます。また、鶴と亀は奥社に実際に存在する彫刻であり、「後ろの正面だあれ?」という問いは、家康の墓である宝塔や埋蔵金の場所に関する暗喩である可能性があります。
「かごめかごめ」の歌詞と日光東照宮のデザインが持つこれらの共通点は、単なる偶然とは言い難く、深い歴史的意図が込められているのではないかと推測されています。
徳川埋蔵金伝説との繋がり
徳川埋蔵金の概要とこれまでの調査
徳川埋蔵金とは、江戸幕府崩壊直前に隠されたとされる莫大な財宝のことです。1868年、江戸城無血開城の際、次期政権に渡らないよう財宝が移動・隠匿されたと伝えられています。その総額は360万両(現代の価値で約3800億円)とも推定されています。
これまで多くの調査や探索が行われましたが、決定的な発見には至っていません。埋蔵金が隠された場所として、赤城山や日光東照宮など複数の候補地が挙げられています。特に、日光東照宮奥社周辺の彫刻や設計に、隠された手掛かりがあるという説が注目されています。ただし、東照宮が世界遺産であるため、大規模な発掘調査が行えないのが現状です。
「かごめかごめ」は埋蔵金の所在地を示す暗号か?
徳川埋蔵金伝説において、童謡「かごめかごめ」が所在地を示す暗号ではないかという説があります。歌詞の中の「鶴と亀がすべった」や「後ろの正面だあれ」といったフレーズに、地理的な意味が込められているとされています。
「鶴と亀」は日光東照宮奥社の彫刻を指しており、そこに埋蔵金のヒントが隠されているという見方があります。また、「かごめ」という言葉は六芒星を意味するとされ、六芒星は徳川家の象徴とも言えるデザインです。このことから、埋蔵金は徳川家康に縁のある日光東照宮のどこかに隠されているのではないかという仮説が提唱されています。
奥社に隠された財宝の可能性
日光東照宮奥社は、徳川家康を祀る神聖な場所です。この奥社周辺には謎めいた彫刻や特異な設計が多数存在します。特に鶴と亀の像の配置や、朝日の差し込む角度による影の動きが注目されています。
一部の説では、朝日が彫刻や建物の影を特定の場所に投影し、それが埋蔵金の秘密を解く鍵になっているとされています。奥社の裏手やその周辺の地中に財宝が隠されている可能性も指摘されていますが、発掘が制限されているため、真相は解明されていません。
奥社やその彫刻には、徳川家の権威や思想を示す意図が込められており、それが埋蔵金の手掛かりとなる可能性があります。
「後ろの正面誰」の位置を追う
童謡「かごめかごめ」の「後ろの正面だあれ」という歌詞は、埋蔵金の在処を示す重要なヒントではないかと考えられています。このフレーズは、一見すると矛盾していますが、特定の場所や構造物を示唆する隠喩として解釈されています。
日光東照宮においては、奥社の背面やその裏手が「後ろの正面」に該当する可能性があります。また、鶴亀の像やその他の彫刻には、東西南北を表す暗号が隠されているとされ、それが「後ろ」と「正面」の位置関係を示しているという説もあります。
これらの謎を解明することで、埋蔵金の在処に近づけるのではないかと期待されていますが、詳細は依然として謎のままです。
東照宮の都市伝説と真相
六芒星の配置と徳川家
日光東照宮には数多くのシンボルが散りばめられていますが、特に注目されるのが六芒星の配置です。この図形は古代から「調和」や「力」の象徴とされ、徳川家康が築いた平和な時代を象徴しているとも言われています。
また、六芒星は結界や魔除けの記号としても用いられ、東照宮においては信仰と防御の象徴として取り入れられた可能性があります。一部の研究者は、この六芒星が童謡「かごめかごめ」の歌詞や徳川埋蔵金の隠匿場所に関連しているのではないかという説を提唱しています。さらに、六芒星は鶴と亀や鳥居とも何らかの関係があるかもしれないと考えられています。
日光東照宮に込められた象徴の数々
日光東照宮は豪華絢爛な彫刻やデザインで知られていますが、それらには深い象徴的意味が込められています。
例えば、鶴と亀は一般的に長寿や繁栄を象徴しますが、東照宮では「新しい時代の統治」を意味するとされています。また、陽明門の華麗な彫刻や神厩舎の三猿、眠り猫なども、徳川家康の願いや徳川家の平和への想いを反映したものです。これらのデザインは、単なる装飾を超えて後世へのメッセージを含んでいると考えられています。
一部では、こうした彫刻や配置に埋蔵金の手掛かりが隠されている可能性があるという説もあり、歴史的なロマンをさらに深めています。
埋蔵金は現実かフィクションか?
徳川埋蔵金の伝説は、日本史の中でも永遠の謎とされています。幕末の動乱期、徳川家が財産を隠したとされるこの伝説では、日光東照宮がその候補地としてたびたび取り上げられてきました。
特に奥社や徳川家康の墓、鶴と亀の像の影などが埋蔵金の手掛かりとされる説は魅力的ですが、確たる証拠は未だ見つかっていません。また、赤城山や榛名山など他の候補地も挙げられており、いずれも発掘が進まないことや、世界遺産としての保護規制が謎をさらに深めています。
現代に伝わる東照宮の謎
日光東照宮を取り巻く謎や都市伝説は、現代でも多くの人々を引きつけています。「かごめかごめ」の歌詞に込められた暗号を解読すれば、鶴と亀の像や朝日と影の関係が徳川埋蔵金に繋がるのではないかと考える研究者もいます。
また、六芒星や彫刻に隠されたメッセージが、現代人に向けた警告やメッセージではないかという説も存在します。しかし、具体的な証拠が不足しているため、これらは想像や推測の域を出ません。
それでも、これらの謎が語り継がれていること自体が、東照宮の文化的価値とその魅力を物語っています。東照宮は単なる歴史的建造物ではなく、歴史ミステリーや都市伝説の舞台としても多くの人々を魅了し続けているのです。
日光東照宮奥社 鶴と亀の謎[まとめ]
日光東照宮 奥社にまつわる「鶴と亀」の謎や、わらべ歌「かごめかごめ」との関係は、長い年月を経てもなお、多くの人々を魅了し続けています。
鶴と亀の像が何を象徴し、日光の自然や歴史的背景とどのように結びついているのかを考えることで、東照宮の新たな魅力を発見することができるでしょう。また、徳川埋蔵金伝説や「かごめかごめ」の歌詞に込められた暗号性など、多くの謎がいまだ解き明かされていません。
これらの謎解きは、日光東照宮にまつわる都市伝説の真相や、埋蔵金の存在に迫るうえでの貴重な視点を与えてくれます。
訪れるたびに新たな発見をもたらしてくれる日光東照宮。栃木が誇るこの歴史的遺産に込められた謎を探る旅を通して、日本の歴史や文化の奥深さを改めて感じてみてはいかがでしょうか。