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第29代欽明天皇

宣化天皇(せんかてんのう)の弟の天国押波流岐広庭天皇(あめくにおしはるきひろにわのすめらみこと)は、師木島の大宮(奈良県桜井市)にて天下を治め、第29代欽明天皇(きんめいてんのう)となりました。

欽明天皇が、檜坰天皇(ひのくまのすめらみこと:宣化天皇)の御子の石比売命(いわひめのみこと)を娶り生んだ御子は、八田王(やたのみこ)、次に沼名倉太玉敷命(ぬなくらふとたましきのみこと:後の第30代敏達天皇)、次に笠縫王(かさぬいのみこ)の併せて3人です。

また、その石比売命の妹の小石比売(おいわひめのみこと)を娶り生んだ御子は、上王(かみのみこ)1人です。

また、春日之日爪臣(かすがのひつめのおみ)の娘の糠子郎女(ねかこのいらつめ)を娶り生んだ御子は、春日山田郎女(かすがのやまだのいらつめ)、次に麻呂子王(まろこのみこ)、次に宗賀之倉王(そがのくらのみこ)の併せて3人です。

また、宗賀稲目宿禰大臣(そがのいなめのすくねのおおおみ)の娘の岐多斯比売(きたしひめ)を娶り生んだ御子は、橘豊之日命(たちばなのとよひめのみこと、後の第31代用明天皇)、次に妹の石坰王(いわくまのみこ)、次に足取王(あとりのみこ)、次、豊御気炊屋比売命(とよみけかしきやひめのみこと、後の第33代推古天皇)、次にまた、麻呂古王(まろこのみこ)、次に大宅王(おおやけのみこ)、次に伊美賀古王(いみがこのみこ)、次に山代王(やましろのみこ)、次に妹の大伴王(おおともみこ)、次に桜井之玄王(さくらいのゆみはりのみこ)、次に麻怒王(まののみこ)、次に橘本若子王(たちばなもとのわくごのみこ)、次に泥杼王(ねどのみこ)の併せて13人です。

また、岐多斯毘売命(きたしひめのみこと)の叔母の小兄比売(をえひめ)を娶り生んだ御子は、馬木王(うまきのみこ)、次に葛城王(かずらぎのみこ)、次に間人穴太部王(はしひとのあなほべのみこ:後の用明天皇の后)、次に三枝部穴太部王(さきくさべのあなほべのみこ)またの名は須売伊呂杼(すめいろど)、次が長谷部若雀命(はつせべのわかさざきのみこ:後の第32代崇峻天皇)の併せて5人です。

欽明天皇の御子等すべて併せて二十五柱になります。

この中で、沼名倉太玉敷命敏達天皇)が次に天下を治め、次に橘豊之日命用明天皇)が天下を治め、その次に長谷部若雀命推古天皇)が天下を治め、次に豊御気炊屋比売命(崇峻天皇)が天下を治め、併せて四柱の王が後に天下を治めました。

陵名は檜隈坂合陵(ひのくまのさかあいのみささぎ:奈良県高市郡明日香村)で、墳名は平田梅山古墳(ひらたうめやまこふん)です。