(戸隠神社・奥社とノコギリ状の峰を持った戸隠山)
【目 次】
パワースポット神社・仏閣・秘境とは?
2017年11月15日、私は初めて戸隠神社・五社を参拝しました。それから、今までに70以上の神社を訪れ、あらめて神社は人気があるんだな〜と思いました。特に30代、40代の女性が多く参拝しています。
しかし、なぜ、人は神社を参拝するのでしょう?
アマテラス様を始め、神社のご祭神を信じているのでしょうか?
でも、古事記によると、スサノオなんてとんでもない神様です。高天原での行為は、いたずらを超えた悪事です。その悪事が、アマテラス様が天岩戸の中に隠れた原因になりました。
本当に、こんな古事記の神様を信じているのでしょうか?
そんな神様を崇めている場所が神社です。特に山奥など幽玄な世界に神社はあります。
そして、人はその場所を、「パワースポット」と呼んでいるのです。
パワースポットとは、一体どんな場所なのでしょうか?
(以下はウィキペディアの記事からまとめました)
「パワースポット」という言葉は、1975年以降、超能力者を称する清田益章氏が「大地のエネルギーを取り入れる場所」として使いました。
そして、「パワースポット」という言葉は、1990年代前半から広まったといいます。
荒俣宏氏によるパワースポットの定義
パワースポットは大地の気がみなぎる場所。古くから、人はその場所で大地の力を得ようとしました。
たとえば「熊野三山詣で」「お伊勢参り」。
本来なら厳しい修行を行った者(修験者)がはじめて得られる力を、その場所に詣でるだけで得られる、しかも身分性別を問わず得られる場所がパワースポットです。
そして、パワースポットでは自分なりに大地の気を感じることが大切です。
また、パワースポットやスピリチュアル・スポットなどと呼ばれている場所は、本来は信仰の場であって自然崇拝が行われていた場です。そういう場所は伝統的に霊場とか聖地などと呼ばれました。
風・雷・雲などのほかに、山・大地・川・湖なども人々の崇拝の対象とされてきました。
2000年頃から、大衆向け風水やスピリチュアリズムに対する人々の興味が高まってきました。神社仏閣などを巡る聖地巡礼ブームも起きてきます。
江原啓之氏は、神社仏閣を「スピリチュアル・サンクチュアリ」と呼んでいます。
パワースポット、神社の方が仏閣より多い理由
日本のパワースポットには神社が圧倒的に多く、仏閣が少ないのは、若月佑輝郎氏は、仏閣は人々の悩みや悲しみが集まるためパワーが劣っているからだとしました。
しかし、仏閣はそれだけ人々に馴染みが深い場所で、人々の心の拠り所になってきたと言えます。
パワースポットは、科学的に説明できるのか?
佐々木茂美氏は、地磁気が打ち消しあう場所ではある状態が発生し、そこに「五次元宇宙」からのエネルギーがもたらされると主張しました。
また、楢崎皐月氏が『静電三法』で土壌中の電位差によって土地自体が持つパワーがあるとし、プラスのエネルギーを持つ「イヤシロチ(弥盛地)」とマイナスのエネルギーを持つ「ケガレチ(気枯地)」が存在するとしました。ケガレチであっても土壌中に木炭を埋設すれば、イヤシロチに変えられるそうです。
経営の神様、船井幸雄氏は『イヤシロチ』という本を書いています。また、船井氏は最強金運神社として、富士山にある新屋 山神社と金沢にある金劔宮をあげています。この二つの神社は、地理上でパワーが強い一直線(レイライン)上にあります。そのレイラインを千葉まで伸ばすと、安房神社があります。
ちなみに、日本三大神社としてあげられるのが、この新屋 山神社、金劔宮、安房神社です。レイラインは、地図上でのパワースポットを考える理由になりそうです。
パワースポットでの心得と注意点
江原啓之氏はパワースポット・ブームの加熱ぶりに警鐘を鳴らしています。神仏への畏敬の念を持たずに、御朱印を「スタンプラリーのように」集めるパワースポット巡りを批判しています。
2010年8月20日の読売新聞 YOMIURI ONLINEの記者は、出雲市佐田町にある須佐神社の神職が「数年前まで年間12,000人だった参拝客が、今では100,000人はいるのでは」と話しながらも「携帯のカメラで大杉を撮影するのに夢中で、鳥居や本殿は素通り。神社はお参りするところなのに」と困惑していたと伝えました。
神社新報の論説
昨今の「パワースポット・ブーム」などを根柢から否定するつもりはありません。しかし、神社の教化活動の主な目標は、単なる俗的なご利益信仰および特定神社の宣布ではなく、「より広い御神威の発揚と御神徳の昂揚」です。
また、宗教施設の関係者が高名な有識者に対し、自分の施設をパワースポットであると紹介するよう依頼する事例があるとの風聞に対しては「宗教者自身の資質にも関わる」として、これを批判しました。
「いたづらに流行に飛びつこうという姿勢は慎むべきである」
「話題作りのために、安易に伝統を破壊するような行為だけは、厳に慎んでもらいたい」