御朱印、日本の寺社でいただく印章。その起源は意外に知られていません。
この記事では、まず初めに御朱印の歴史を紐解く旅に出かけましょう。
江戸時代から昭和初期にかけ、様々な変遷を経て御朱印がどのようにして今日の形になったのか、その道程を詳しく探ります。
六十六部による御朱印の起源
御朱印の歴史の源流は、六十六部の納経帳にさかのぼります。江戸時代の納経帳が御朱印の起源であることは、保存されている文書によって明らかになっています。
しかし、驚くべきことに、この納経帳が六十六部から始まっているという事実は、あまり知られていませんでした。
現在知られている最古の四国八十八ヶ所に関連する納経帳は、宝永8年(1711)から正徳元年(1712)にかけてのもので、これは六十六部の廻国巡礼の一環として四国・西国を巡拝したものです。
六十六部はもともと、日本全国66ヶ国を巡り、各国を代表する寺社1ヶ所に法華経一部を納経する行者の活動でした。
しかし、18世紀に入ると1ヶ国1ヶ所にこだわらなくなり、四国・西国・板東・秩父などの霊場を含むようになりました。
納経帳の登場と広まり
江戸時代、特に18世紀以降になると、六十六部が最も盛んになりました。
ノートルダム清心女子大学の小嶋博巳教授によれば、17世紀末から18世紀初頭が六十六部の画期的な時期であるとされています。
御朱印の歴史からも、この時期に重要な出来事が起こったことがうかがえます。
それが、納経帳の登場です。
それまで六十六部は各寺社から納経請取状を受け取っていましたが、この時期から納経帳を携行し、各寺社で貴重な押印をもらうというスタイルに変わったのです。
納経請取状は現在の御朱印とは見た目が異なります。納経請取状は御朱印の起源ではありますが、そのまま御朱印と呼ぶことはできません。
しかし、納経帳は現在でも四国八十八ヶ所や西国三十三所などの霊場で使用されており、しかも御朱印と区別することができないため、納経帳の登場をもって御朱印の出現とみなすことができます。
旅行の自由化と記念スタンプ
明治維新は日本の様々な分野に変革をもたらしました。その中で、御朱印の歴史に大きな影響を与えたのは、以下の3つの要因でしょう。
- 神仏分離
- 六十六部の禁止
- 庶民の移動の自由化
特に庶民の移動の自由化により、信仰を名目としない観光旅行が徐々に広まりました。
四国・西国などの霊場巡拝は低迷し、強い信仰的な動機を持たない人々も、旅行に納経帳を携行することが減少しました。
しかし、寺社を参拝した際に押印してもらう習慣は根強く残り、明治30年代ごろからハガキや絵ハガキに押印してもらう習慣が広がりました。この習慣に大きな影響を与えたのが、記念スタンプの登場でした。
これらが背景となり、大正時代には折り本式の集印帖が登場し、昭和初期には集印ブームへと続いていきました。
折本式集印帖の登場
大正時代(1912~1926)半ばには、御朱印の歴史において大きな変革が起きました。その変革の中心には、折り本式の集印帖の登場があります。
俗に「蛇腹式」とも呼ばれるこの形式は、今でも御朱印帳といえばこのタイプを指すほど一般的になりました。
大正から昭和初期の旅行ブームと相まって、携行しやすい折本式の集印帖は急速に普及しました。旅行の記念として寺社の朱印や観光地の記念スタンプを集める習慣が定着しました。
スタンプブームと御朱印
以前は「御朱印」と言えば、「御朱印船」「御朱印地」といった、将軍が発給する「朱印状」またはそれによって安堵された土地を指していました。
しかし、昭和初期に入り、空前のスタンプ(集印)ブームが起こり、これに伴う問題が浮き彫りになりました。この時、御朱印という名称が使われるようになり、宗教的な意義が再確認されたのです。
「御朱印はスタンプラリーではない」という言い回しが生まれましたが、これは当時の状況を反映したものと考えられます。昭和初期は、現代のような「御朱印」がほぼ確立した時代と言えるでしょう。
昭和10年代から平成まで
昭和10年(1935)頃、スタンプブームとその諸問題を背景に、「御朱印」という名称が一般的に使われるようになり、宗教的な意味合いが再確認されました。
この時期以降、御朱印は日本の文化や観光の一環として、ますます広く認知されていきました。
[参考サイト]御朱印の歴史
https://goshuin.net/research/history/
↓ 御朱印を総合的に知りたい方は ↓
>>御朱印の意味とご利益。歴史や種類から楽しみ方まで紹介!
[参考]納経のお礼品
浄土真宗本願寺派や大谷派では、昭和60年(1985)代もしくは平成初頭(1989)あたりから、宗派の方針として御朱印を授与しないことが一般的となりました。
かつて「浄土真宗では伝統的に御朱印を授与しない」と言われていたことが、浄土真宗の伝統ではなく、近年の本願寺派と大谷派の方針であることが徐々に広まりつつあります。
浄土真宗の御朱印は、他宗派の御朱印と異なる起源と伝統を持っています。本願寺派などでは、御朱印は納経の証しであり、その目的は先祖供養です。
浄土真宗の教えに合わないとされる理由も挙げられていますが、御朱印の歴史を正しく理解すれば、他宗の御朱印を根拠にして自らの御朱印を否定することは避けられるでしょう。
ですから、御朱印を授与するかどうかは個々の寺院や宗派の方針により異なります。
まとめ
日本の文化や信仰の一環として広く受け入れられている御朱印。
この記事では、御朱印の起こりから折本式集印帖の時代、そして昭和から平成にかけての変遷を辿りました。
御朱印は、旅行の自由化や記念スタンプブームといった潮流と共に歩み、その歴史が鮮やかな軌跡を刻んでいます。これを通して、日本の寺社巡りや信仰のあり方がどのように変わってきたのかを垣間見ることができます。