後の第21代雄略天皇、大長谷王子は、安康天皇崩御の後、兄の黒日子王、白日子王、忍歯王の兄弟・従兄弟を次々に殺していきました。忍歯王の御子の意祁王と袁祁王は…
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大長谷若建命(おおはつせのわかたけるのみこと:大長谷王子)は、長谷の朝倉宮(あさくらのみや:奈良県桜井市脇本)で天下を治め、第21代雄略天皇となりました。
雄略天皇が阿岐豆野(あきずの)に来て狩をした時、天皇は呉床に座っていました。すると、虻(あぶ)が天皇の腕を刺し、さらには蜻蛉(あきず:トンボ)が来てその虻を喰らい飛んでいきました。
「私が先に問われたので、私が先に名乗るとしよう。私は、凶事も一言で、また吉事も一言で言い分ける神、葛城の一言主大神(ひとことぬしのおおかみ)である」
宴もたけなわになってくると、順番に皆で舞を舞うことになりました。この時、火焚き役の少年が二人、竈(かまど)のそばにいたところ、その少年たちにも舞わせました。
繁った欅の葉が落ち、天皇の盃に浮かびました。采女は、落ち葉が盃に浮いていることに気づかず、大御酒を奉りました。「どうか私を殺さないで下さい」。雄略天皇は124歳で崩御!
朝廷の人達は、朝は朝廷に参り、昼は志毘の家に集まっている。今は、まだ志毘は寝ているだろう。また志毘の門には誰もいない。だから、今攻めなければ後からでは難しくなる。
「王子の御骨を埋めた所を、私はよく知っております。王子の御骨であることは、御歯(みは)を見ればわかることでしょう」王子の御歯は、八重歯だったのです。
仁賢天皇と春日大郎女の間に生まれた小長谷若雀命(は、長谷の列木宮(なみきのみや:奈良県桜井市か)において、天下をお治め第25代武烈天皇となりました。
第15代応神天皇の五世の孫の袁本杼命(おほどのみこと)は、伊波礼(奈良県内)の玉穂宮(たまほのみや)において天下を治め、第26代継体天皇(けいたいてんのう)となりました。
継体天皇(けいたいてんのう)の御子広国押建金日命(ひろくにおしたけかなひのみこと)は、勾(まがり)の金箸宮(かなはしのみや)にて天下を治め、第27代安閑天皇(あんかんてんのう)となりました。
安閑天皇(あんかんてんのう)の弟の建小広国押楯命(たけおひろくにおしたてのみこと)は、檜坰(ひのくま)の廬入野宮(いおりののみや:奈良県明日香村檜前)にて、天下を治め第28代宣化天皇(せんかてんのう)となりました。