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第20代安康天皇

第20代安康天皇の即位

軽太子(かるのひつぎのみこ)が自害し後、弟の穴穂御子(あなほのみこ)が石上の穴穂の宮(奈良県天理市田町)にて天下を治め、第20代安康天皇(あんこうてんのう)となりました。

天皇は、同母の弟大長谷王子(おおはつせのみこ)のために、坂本臣(さかもとのおみ)らの祖である根臣(ねのおみ)を、大日下王(おおくさかのみこ)の元へ遣わせて、
「あなたの妹の若日下王(わかくさかのみこ)を、大長谷王子と結婚させたいと思うので協力してほしい」
と伝えると、大日下王は四度拝み言いました。
「もしそのようなご命令もあろうかと思い、妹を結婚させずにおきました。まことに畏れ多いこと。ご命令どおりにいたします」

そして、大日下王は言葉だけでは失礼であると思い、直ぐにその妹の礼物(いやじろ:贈呈する金品)として、押木の玉鬘(おしきのたまかづら:木の枝の形をした玉飾りの冠)を根臣に持たせてました。

根臣、安康天皇に嘘の報告

しかし、根臣は、預け渡された礼物の玉鬘を盗み取り、安康天皇に嘘を報告しました。
「大日下王は、勅命を受けず『私の妹は、同族の下敷きになりはしない』といい、その太刀の柄を握って怒りました」

すると、それを聞いた安康天皇は激怒。大日下王を殺して、正妻である長田大郎女(ながたのおおいらつめ)を連れてこさせ、自分の皇后にしました。

しかし、安康天皇、臣下の嘘に気づかなかったとは大きな落ち度です。

安康天皇、7歳の子供に殺される

ある日、安康天皇は神牀(かむとこ:寝室)で昼寝をしていました。
その時、皇后の長田大郎女に言いました。
「お前は、心配に思うことがあるか?」
皇后は答えて言いました。
「天皇のあつい恵みを頂いており、何を心配に思うことでしょう」

ところで、皇后には先の夫である大日下王との子がおり、名は目弱王(まよわのみこ)、齢は7歳でした。
天皇と皇后が昼寝時の会話をしている時、目弱王は御殿の床下で遊んでいました。

そのことを知らずに天皇は皇后に告げました。
「私は常日頃、心配に思うことがある。お前の子の目弱王が大人になった時、私が父を殺したことを知ったら、復讐を決意するのではないかと」

目弱王はこの話を聞くと、すぐに天皇が寝ている隙をうかがって、その傍らに置いてあった太刀を手に取り、天皇の首を斬り、都夫良意富美(つぶらおおみ)の家に逃げました。

まだ、たったの7歳の子が、安康天皇を殺したことは驚くべきことです。

安康天皇の御年は56歳で、御陵は菅原の伏見岡(ふしみのおか:奈良県奈良市宝来)にあります。

*陵名は菅原伏見西陵(すがわらのふしみのにしのみさき)です。