敏達天皇(びだつてんおう)の弟の橘豊之日命(たちばなのとよひめのみこと)は、池辺宮(いけのへのみや:奈良県桜井市内)にて天下を治め、第31代用明天皇(ようめいてんのう)となりました。天下を治め統治した期間は3年でした。
この用明天皇(ようめいてんのう)が宗賀之稲目宿禰大臣(そがのいなめのすくねのおおおみ)の娘の意富芸多志比売(おほぎたしひめ)を娶り生んだ御子は、多米王(ためのみこ)の1人です。
また、庶妹(ままいも:腹違いの妹)の間人穴太部王(はしひとのあなほべのみこ:欽明天皇の御子)を娶り生んだ御子は、上宮之厩戸豊聡耳命(かみつみやのうまやとのとよとみみのみこと:聖徳太子)、次に久米王(くめのみこ)、次に植栗王(ゑくりのみこ)、次に茨田王(うまらたのみこ)の併せて4人です。
また、当麻之倉首比呂(たぎまのくらのおびとひろ)の娘の飯女之子(いひのこ)を娶り生んだ御子は、当麻王(たぎまのみこ)、次に妹の須加志呂古郎女(すがしろこのいらつめ)の併せて2人です。
この用明天皇は、丁未年(ひのとのひつじのとし:西暦587年)の4月15日に崩御しました。
御陵は、石寸(いわれ)の掖上(わきがみ:奈良県桜井市池之内)にありましたが、後に科長(しなが)の中陵(なかのみささぎ:大阪府南河内郡太子町大字春日)に移しました。
陵名は河内磯長原陵(こうちのしながのはらのみささぎ)、墳名は春日向山古墳(かすがむかいやまこふん)です。