アメノワカヒコ、戻ってきた矢に死す
アメノワカヒコが放った矢は、高天原が遣いに出した鳴女(なるめ - キジ)の胸を貫通して、高天原のアマテラスとタカギノカミ(タカミムスヒノカミ)のところまで飛んで行きました。
血のついた矢をご覧になったタカギノカミは、
「むっ!この矢はアメノワカヒコに賜った矢」
とお気づきになり、集めた神々を前にしてこう言われました。
「もし、アメノワカヒコが命令に背かず、この矢が悪しき神によって放たれたものならば、アメノワカヒコには当たるな。もし、邪心があったならば、アメノワカヒコに当たって死ね」
そう言われると、矢を元来た下界の地上に投げ落としました。矢は寝ているアメノワカヒコの胸に当たり、彼は死にました。
遣いのキジが帰ってこなかったことが、ことわざ「雉の頓使い(きじのひたづかい)」の語源になります。「行ったきりで戻ってこない使い」という意味です。
アメノワカヒコの葬儀にて
アメノワカヒコの妻シタデルヒメ(オオクニヌシの娘)の泣き声が、高天原にも届きました。
アメノワカヒコの父母・兄弟が食事番、掃除番などを連れて下界に降りてきました。弔い小屋を建て、八日八夜、歌い舞い故人アメノワカヒコをしのびます。
この時、オオクニヌシの子で、アメノワカヒコの妻シタデルヒメの兄アジシキタカヒコネの神が弔いにやってきました。その容貌を見るとこう話しました。
「アメノワカヒコは死なずに生きていた!わが子は生きていた!」
アメノワカヒコの父母は笑顔をとりもどし、アジシキタカヒコネの足にしがみつき泣きました。アメノワカヒコとアジシキタカヒコネの二人は、それほど似ていたのです。
激怒するアジシキタカヒコネ
「私は友アメノワカヒコのために弔いにきたのだ。なんで、けがれた死人と間違えるのか!」
こう言うと、剣を抜いて、祭壇を切りこわし、弔い小屋まで足で蹴り飛ばしてしまいました。
その後、アジシキタカヒコネは名も明かさず、飛び去りました。弔い小屋が飛んで行った場所が、美濃国の藍見河(岐阜県美濃市藍見)上流にある喪山と言われています。
その時の剣の名を、大量(おおはかり)またの名を神度剣(かむどのつるぎ)と言います。
また、アジシキタカヒコネの妹であるアメノワカヒコの妻シタデルヒメは、兄の名を明かすために歌をよみます。
天なるや 弟棚機(おとたなばた)の 項(うな)がせる 玉の御統(みすまる) 御統に 穴玉はや み谷 二(ふた)渡らす 阿治志貴高日子根(あぢしきたかひこね)の 神そ
高天原にいる機織(はたおり)女の首かざりの玉のように、輝いているのがアジシキタカヒコネの神であることよ。
高天原の神々は、葦原中つ国(あしはらのなかつくに - 地上の世界)の様子をはっきりと分かっているわけではありません。なぜなら、最初の遣いが3年間、二番目の遣いが8年間も報告がなくとも「どうなっているのか」分かっていないのです。
ということは、私たちが神社で参拝に行って「神様、お願いです」と言っても気づいてくれないと思った方が良いのではないでしょうか。ですから、神様に気づいてもらえるよう、最初の柏手(かしわで)を大きく打ち鳴らすことが必要になります。
【柏手】神を拝むときに、両方の手のひらを打ち合わせて鳴らすこと。