ヤタガラスに導かれる神武天皇(安達吟光画)
ヤタガラス(八咫烏)の導き
紀伊半島を南から攻略しているカムヤマトイワレビコに、高天原のタカミムスヒノカミが連絡してきました。
「天つ神御子よ、すぐに奥に攻め入ってはなりません。
荒ぶる国つ神(豪族)が大勢います。
そこで、ヤタガラスを遣わします。
ヤタガラスが導きますので、その後をお進みなさい」
こうして、ヤタガラスの導きに従い、カムヤマトイワレビコは、奥の地方を従えていきました。
八咫烏にまつわる熊野本宮大社
国つ神(豪族)の忠誠
「私は、国つ神。名は贄持之子(にえもつのこ)といいます」
阿陀(奈良県五條市)の鵜飼(うかい)は、鵜を使って魚をとり朝廷に納めます。
「私は、国つ神。名は井氷鹿(いひか)といいます」
吉野首(よしののおびと)。木こりで、尾のように見える毛皮を着ているので「尾の生えた人」と呼ばれています。
「私は、国つ神。名は石押分之子(いわおしわくのこ)といいます」
「尾の生えた人」で、吉野の国巣(くず)の祖です。朝廷の節会などに参賀して歌笛を奏します。
こうして、カムヤマトイワレビコの一行は、宇陀の地(奈良県宇陀市)に進みました。
野田九浦画「神武天皇の御東征」 神宮徴古館所蔵
宇陀のエウカシ(兄宇迦斯)とオトウカシ(弟宇迦斯)
宇陀には、エウカシとオトウカシの兄弟がいました。
カムヤマトイワレビコは、ヤタガラスを遣わせて、二人に尋ねさせました。
「今、天つ神御子がおいでです。あなたたちも仕える気はありますか」
ところが、エウカシは鳴鏑(なりかぶら)を射って、ヤタガラスを追い返してしまいました。
そこで、鳴鏑が落ちたところを訶夫羅前(かぶらさき)といいます。
エウカシとオトウカシは反抗するために兵士を集めましたが、十分に集められず、
「仕え奉ります」
と、偽って伝えてきました。
カムヤマトイワレビコが来るまでに大きな御殿を作り、御殿の中に圧し潰す仕掛けを作りました。
しかし、弟オトウカシはカムヤマトイワレビコを一人で出迎えると申し上げました。
「兄エウカシは、お遣いのヤタガラスを射返し、天つ神御子を待ち伏せる兵士を集めましたが集まらず、出迎える御殿を作り、中に圧し潰す仕掛けを作りました。
だが、私にはそんな反抗する意図はありません」
兄エウカシ、自らの仕掛けで死す。
カムヤマトイワレビコの家来の道臣命(みちのおみのみこと)と大久米命(おおくめのみこと)が兄エウカシを呼びつけ、
「御殿には、まずお前が入り案内せよ」
と命じ、太刀をとり弓矢を構えて御殿に追い込みました。
こうして、兄エウカシは、自分で作った仕掛けで死んでしまいます。道臣命と大久米命は遺体を外に引き出すと、切り刻みました。
弟オトウカシは忠誠の証に、饗宴を開き、カムヤマトイワレビコの一行をもてなしました。