水歯別命(みづはわけのきみ)は、実兄の墨江中王(すみのえのなかつみこ)を誅した功績により皇太子になりました。履中天皇(りちゅうてんのう)が崩御すると、多治比(たじひ)の柴垣宮で天下を治め、第18代反正天皇(はんぜいてんのう)となりました。
この天皇の身長は、約1m80cmで、御歯の長さは約1.9㎝、広さは約4㎜、上下は等しく整い、それはまるで珠を貫いたように綺麗な歯並びです。この立派な歯並びから、水歯別命という名前がつけられたようです。
反正天皇は、丸邇(わに)の許碁登臣(こごとのおみ)の娘、都怒郎女(つののいらつめ)を娶りました。生んだ御子は、甲斐郎女(かいのいらつめ)と都夫良郎女(つぶらのいらつめ)の二柱です。
また、同じ臣の娘、弟比売(おとひめ)を娶り生んだ御子は、財王(たからのみこ)と多訶弁郎女(たかべのいらつめ)の二柱で、あわせて四柱になります。
この天皇の御年は60歳。丁丑月(ひのとのうしのとし:西暦437年)7月に崩御されました。
御陵は毛受野(もずの:大阪府堺市北三国ヶ丘町)にあります。
*陵名は百舌鳥耳原北陵(もずのみみはらのきたのみささぎ)で、墳名は田出井(たでい)山古墳です。