古事記 第27代安閑天皇(あんかんてんのう) 継体天皇(けいたいてんのう)の御子広国押建金日命(ひろくにおしたけかなひのみこと)は、勾(まがり)の金箸宮(かなはしのみや)にて天下を治め、第27代安閑天皇(あんかんてんのう)となりました。 2021年3月28日
古事記 第26代継体天皇(けいたいてんのう) 第15代応神天皇の五世の孫の袁本杼命(おほどのみこと)は、伊波礼(奈良県内)の玉穂宮(たまほのみや)において天下を治め、第26代継体天皇(けいたいてんのう)となりました。 2021年3月27日
古事記 第25代武烈天皇(ぶれつてんのう) 仁賢天皇と春日大郎女の間に生まれた小長谷若雀命(は、長谷の列木宮(なみきのみや:奈良県桜井市か)において、天下をお治め第25代武烈天皇となりました。 2021年3月26日
古事記 第24代仁賢天皇(にんけんてんのう) 袁祁王(おけのみこ:顕宗天皇)の兄の意祁王(おけのみこ)は、石上(いそかみ)の広高宮(ひろたかのみや)において天下を治め、第24代仁賢天皇となりました。 2021年3月25日
古事記 第23代顕宗天皇 雄略天皇の御陵を破壊する 大長谷天皇は父の怨敵ですが、父の従兄弟。また、天下を治めた天皇でもあります。単に父の仇というだけで、天皇の陵を破壊したならば、後の人々は必ず非難するでしょう。 2021年3月24日
古事記 第23代顕宗天皇(けんぞう)と市辺之忍歯王の遺骨 「王子の御骨を埋めた所を、私はよく知っております。王子の御骨であることは、御歯(みは)を見ればわかることでしょう」王子の御歯は、八重歯だったのです。 2021年3月23日
古事記 第22代清寧天皇 袁祁命と志毘臣との歌合戦 朝廷の人達は、朝は朝廷に参り、昼は志毘の家に集まっている。今は、まだ志毘は寝ているだろう。また志毘の門には誰もいない。だから、今攻めなければ後からでは難しくなる。 2021年3月22日
古事記 第22代清寧天皇(せいねい)と二人の少年(皇子)の舞 宴もたけなわになってくると、順番に皆で舞を舞うことになりました。この時、火焚き役の少年が二人、竈(かまど)のそばにいたところ、その少年たちにも舞わせました。 2021年3月21日
古事記 第21代雄略天皇 三重の采女(うねめ)。124歳で崩御 繁った欅の葉が落ち、天皇の盃に浮かびました。采女は、落ち葉が盃に浮いていることに気づかず、大御酒を奉りました。「どうか私を殺さないで下さい」。雄略天皇は124歳で崩御! 2021年3月20日
古事記 第21代雄略天皇 大猪と一言主大神 「私が先に問われたので、私が先に名乗るとしよう。私は、凶事も一言で、また吉事も一言で言い分ける神、葛城の一言主大神(ひとことぬしのおおかみ)である」 2021年3月19日
古事記 第21代雄略天皇 阿岐豆野の名の由来 雄略天皇が阿岐豆野(あきずの)に来て狩をした時、天皇は呉床に座っていました。すると、虻(あぶ)が天皇の腕を刺し、さらには蜻蛉(あきず:トンボ)が来てその虻を喰らい飛んでいきました。 2021年3月18日
古事記 第21代雄略天皇 引田部の老いた赤猪子の話 天皇は赤猪子に「あなたは男に嫁がずにいなさい。もう少し大きくなったら、宮中に召し抱えるから」と、使いの者に伝えさせて宮に帰りました。赤猪子はお呼びがかかるのをずっと待っているうちに、80年が過ぎてしまいました。 2021年3月17日