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仁賢天皇と春日大郎女の間に生まれた小長谷若雀命(おはつせのわかさざきのみこと)は、長谷の列木宮(なみきのみや:奈良県桜井市か)において、天下をお治め第25代武烈天皇(ぶれつてんのう)となりました。天下を治めた期間は8年間です。
この武烈天皇には、太子(ひつぎのみこ)がいなかったので、天皇の御子代(みこしろ)として小長谷部(おはつせべ)を定めました。
御子代とは、皇族に子がない時に、その名を伝えるために設けた別部(べのたみ)と言われています。
御陵は、片岡(かたおか)の石坏岡(いわつきのおか:奈良県香芝市今泉)にあります。
武烈天皇が崩御し、皇位をつくべき皇子がおりませんでした。そのため、品陀天皇(ほむだのすめらみこと:第15代応神天皇)の五世の子孫である袁本杼命(おほどのみこと:後の第26代継体天皇)を、近淡海国(ちかつおうみのくに:滋賀県)から上らせて、任賢天皇の皇女手白髪命(たしらかのみこと:手白髪郎女)と結婚させ、天下を授け奉りました。