大雀命(オオサザキノミコト)、すなわち第16代仁徳天皇は難波の高津宮で天下を治めます。大后は石之日売命(イワノヒメノミコト)。四柱の御子がいます。
仁徳天皇の妃には、父である第15代応神天皇から譲り受けた髪長比売(カミナガヒメ)がいます。また、仁徳天皇は応神天皇の腹違いの娘である八田若郎女(ヤタノワカイラツメ)と宇遅之若郎女(ウジノワカイラツメ)を娶りました。
聖帝の世(ひじりのみかどのよ)
ある日、仁徳天皇は高い山に登り、四方を見晴らし仰せになりました。
「国中に炊飯の煙が立ち登っていない。国内は、みな貧しいのだろう。今から3年間は、人民の課と労役を免除しよう」
すると、宮殿はボロボロになっても修理できないので、雨漏りがするようになってしまいました。雨漏りは器で受けていたのです。
3年後、仁徳天皇は再び国中を見晴らしてみると、ご飯を炊く煙が立ち上るようになっていました。人民が豊かになった証拠です。そこで、課と役を復活させました。
百姓は役使に苦しまなくなり、その世を称えて「聖帝の世」というようになりました。
『日本書紀』にも、仁徳天皇は皇后にこう話されたといいます。
「天が君を立てるのは、百姓のためである。だから、君は百姓をもって本とする。かつての聖王は、一人でも飢えたなら、自らを顧みて責めたという。いま百姓が貧しければ、朕も貧しい。百姓が富めば、朕も富む。百姓が富み君が貧しいということは、未だない」
大后・石之日売命の凄まじい嫉妬心
仁徳天皇が少しでも他の女にちょっかいを出すと、大后・石之日売命(イワノヒメノミコト)は、足をバタバタさせるほど嫉妬します。
それでも、仁徳天皇は吉備国(岡山や広島)の黒日売(クロヒメ)が美しいと聞くと、召しあげようとしました。
しかし、黒日売は大后を恐れ、実家に逃げ帰ってしまいました。
仁徳天皇は黒日売が乗った船を見下ろすと、妹のような愛しいあなたが国に帰っていく、と和歌を詠みました。
沖方には 小船連らく くろざやの まさづ子我妹(こわぎも) 国へ下らす
すると、大后は怒り、人を大浦(大阪湾)にやって黒日売を下船させて、険しい陸路を歩いて帰るようにしたほどです。
仁徳天皇、大后を欺く。
黒日売を恋しく思った天皇は、
「淡路島を見たいと思う」
と言って出かけると、淡路島を通ってから吉備国に入ったのです。こうして、仁徳天皇は黒日売と会っていたのです。二人で青菜を摘めば楽しいと和歌にしています。
山がたに 蒔ける青菜も 吉備人と 共にし摘めば 楽しくもあるか
吉備人は、もちろん黒日売です。天皇が帰る時、黒日売も和歌を2首詠んでいます。
倭方(やまとへ)に 西風吹(にしふ)き上げて 雲離れ 退(そ)き居りとも 我忘れめや
倭方に 往くは誰が夫(つま) こもりづの 下よ延(は)へつつ 往くは 誰が夫