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応神天皇、髪長比売を大雀命に譲る。

第15代応神天皇は、日向国の諸県君(もろがたのきみ:宮崎県南部の豪族)の娘の髪長比売(カミナガヒメ)がとても美しいと聞き、妻として宮中に仕えさせることにしました。

御子の大雀命(オオサザキミノミコト)は、髪長比売が難波津(なにわず)に着いた時、その美しさに惚れて、大臣の建内宿禰(タケウチノスクネ)に頼みました。
「天皇にお願いして、髪長比売を私に譲ってもらえるよう
口聞きしてもらえないだろうか」

建内宿禰は、その頼みを応神天皇へ申し上げました。天皇は新嘗祭(にいなめさい)の翌日、豊明(とよのあかり)の宴会の日に、髪長比売に大御酒の柏(柏の葉に盛った酒)を持たせ、大雀命にお与えになりました。

応神天皇と朝鮮からの職人・文人などの渡来人

応神天皇の御代には、海部、山部、山守部、伊勢部を定められ、灌漑用の剣池(つるぎのいけ)も作られました。
また、新羅の人々が渡来し、建内宿禰が渡来人を率いて、堤池(つつみいけ)という治水池も作らせました。

【海部】漁業や航海に従事して海産物を収めた豪族
【山部、山守部】山を管理して山の産物を収めた豪族
【伊勢部】伊勢地方の「海部」か

また、百済の照古王(しょうこおう)が牡馬一頭と牝馬一頭を阿知吉師(あちきし)に持たせ、天皇に献上しました。また、太刀と大鏡も献上しました。阿知吉師は、阿直史らの祖となります。

「もし、賢い者がいれば、派遣しなさい」
と、天皇は百済国に命じました。

そこで百済国から派遣されたのが和邇吉師(わにきし)。彼は、論語十巻・千字文(中国の文字学習書)一巻、合わせて十一巻を献上しました。和邇吉師は、文首らの祖となります。

【阿直史(あちきのふびと)朝廷の文書記録を担当した帰化氏族
【文首(ふみのおびと)朝廷の文筆を担当した帰化氏族

また、百済国王は鍛冶職人の卓素(たくそ)、機織り女の西素(さいそ)の二人も派遣してきました。
さらに、秦造(はたのみやつこ)の祖、漢直(あやのあたい)の祖、酒を造る人の仁番(にほ)またの名を須須許理(すすこり)らも派遣しました。

「堅石も酔人を避く」

須須許理が造った酒で酔った応神天皇は、次の歌を詠まれました。

須々許理が 醸(か)みし御酒に われ酔(ゑ)ひにけり 事無酒(ことなぐし) 笑酒(ゑぐし)に 我酔ひにけり
(須々許理が造った酒に私は酔った。災難を払う酒、笑いがこぼれる楽しい酒に私は酔った)

この時、酔った応神天皇がお出かけになった時、杖で大坂道(大和から河内へ越える坂)の大石を打とうした時、石は走って逃げたといいます。

それで、ことわざで「堅石も酔人を避く」(堅い石すら酔っ払いを避ける)と言うのです。