古事記 第22代清寧天皇 袁祁命と志毘臣との歌合戦 朝廷の人達は、朝は朝廷に参り、昼は志毘の家に集まっている。今は、まだ志毘は寝ているだろう。また志毘の門には誰もいない。だから、今攻めなければ後からでは難しくなる。 2021年3月22日
古事記 第22代清寧天皇(せいねい)と二人の少年(皇子)の舞 宴もたけなわになってくると、順番に皆で舞を舞うことになりました。この時、火焚き役の少年が二人、竈(かまど)のそばにいたところ、その少年たちにも舞わせました。 2021年3月21日
古事記 第21代雄略天皇 三重の采女(うねめ)。124歳で崩御 繁った欅の葉が落ち、天皇の盃に浮かびました。采女は、落ち葉が盃に浮いていることに気づかず、大御酒を奉りました。「どうか私を殺さないで下さい」。雄略天皇は124歳で崩御! 2021年3月20日
古事記 第21代雄略天皇 大猪と一言主大神 「私が先に問われたので、私が先に名乗るとしよう。私は、凶事も一言で、また吉事も一言で言い分ける神、葛城の一言主大神(ひとことぬしのおおかみ)である」 2021年3月19日
古事記 第21代雄略天皇 阿岐豆野の名の由来 雄略天皇が阿岐豆野(あきずの)に来て狩をした時、天皇は呉床に座っていました。すると、虻(あぶ)が天皇の腕を刺し、さらには蜻蛉(あきず:トンボ)が来てその虻を喰らい飛んでいきました。 2021年3月18日
古事記 第21代雄略天皇 引田部の老いた赤猪子の話 天皇は赤猪子に「あなたは男に嫁がずにいなさい。もう少し大きくなったら、宮中に召し抱えるから」と、使いの者に伝えさせて宮に帰りました。赤猪子はお呼びがかかるのをずっと待っているうちに、80年が過ぎてしまいました。 2021年3月17日
古事記 第21代雄略天皇 若日下部王への求婚 大長谷若建命(おおはつせのわかたけるのみこと:大長谷王子)は、長谷の朝倉宮(あさくらのみや:奈良県桜井市脇本)で天下を治め、第21代雄略天皇となりました。 2021年3月16日
古事記 第20代安康天皇 身を隠した意祁王と袁祁王 後の第21代雄略天皇、大長谷王子は、安康天皇崩御の後、兄の黒日子王、白日子王、忍歯王の兄弟・従兄弟を次々に殺していきました。忍歯王の御子の意祁王と袁祁王は… 2021年3月15日
古事記 第20代安康天皇 大長谷王子の復讐 安康天皇が目弱王に殺されると、天皇の弟で当時まだ少年だった大長谷王子(後の雄略天皇)は、怒り、憤慨し、兄の黒日子王と兄の黒日子王と兄の白日子王のところに行きましたが… 2021年3月13日
古事記 第20代安康天皇 7歳の目弱王に殺された天皇 軽太子が自害し後、弟の穴穂御子が石上の穴穂の宮(奈良県天理市田町)にて天下を治め、第20代安康天皇となりました。この安康天皇は、皇后と前の夫・大日下王の子に殺されます。 2021年3月12日
古事記 第19代允恭天皇 軽太子の島流しと軽大郎女との禁断の愛の末路 兄・軽太子(かるのひつぎのみこ)は伊予湯(いよのゆ:愛媛県松山市の道後温泉)に島流しにされました。軽太子をおいかける妹・軽大郎女。二人は出会うと、心中してしまいます。 2021年3月11日
古事記 第19代允恭天皇 兄・軽太子と妹・軽大郎女の禁断の恋 允恭天皇の後には、木梨之軽太子が皇位を受け継ぐことになっていました。しかし、即位する前に同じ母から生まれた妹の軽大郎女と禁断の恋に落ちていました。 2021年3月10日